「7・18NHK『クローズアップ現代+』のどこが微妙だったのか」①〜取手事件から学ぶこと

 7月18日の「クローズアップ現代+」は「なぜ続く“いじめ自殺”〜子どもの命を救うために〜」というタイトルで、茨城県取手市で女子中学生中島菜保子さんが自殺した事件を通して、なぜ学校・市教委はいじめを疑わせる多くの証拠がありながら当初これを「いじめ」と認めなかったのか、どうすればいじめ問題の根本的な解決につながるのかを考える番組でした。
 子どもを亡くされた家族に一方的に寄り添うのではなく、学校・教育委員会などの立場も配慮しながら深く突っ込んでいこうとする意欲的な番組だったと思うのですが、それでもなお違っていた、ピントがずれていると感じたのでそのことについてお話しします。

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取手市女子中学生自殺事件

取手市の女子中学生自殺事件というのは先月のこのブログで扱っており(2017/6/2「取手市教委で何があったのか」)、事件の概要はそちらにまとめてありますので参考にしていただければよいのですが、「クローズアップ現代+」はその中で、市教委が行ったとされる聞き取り調査を問題にします。調査用紙には「いじめ」や「自殺」という具体的な文言は使われておらず、そのために大切な証言が引き出せなかったのではないかというのです。
 例えば質問項目のひとつ、
「菜保子さんが学校生活で悩んでいるようだったのですが分かることはありますか」

 そこで当時調査に当たった教育長に質すと、子どもたちを動揺させないための配慮だったと証言するのです。
「あまりそのことがはっきり分かるような調査ができないというところに(生徒たちへの)配慮があったために、質問がぼやけてしまったり、もうちょっと突っ込んで調査もしなくてはならなかったと思う」
 このとき調査に当たった別のひとりは、次のように言います。
「生徒にいじめの疑いをかけるということは非常に重たいかなと。いじめの疑いがあるとすると、生徒は『自分たちがやったことで亡くなったのか』と思うじゃないですか。何かあったときにも、生徒たちを決して犯人扱いしないのが原則なんです。目の前で見てないかぎりは。もし万が一間違ったら大変じゃないですか。」

 何かあったときにも、生徒たちを決して犯人扱いしないのが原則 。
 NHKもあとで同じ言葉を断定的に使っていましたが私はそうは思いません。目の前で起こらなかったことは不問というのでは正義は通りませんし、たいていの悪事は大人の見えないところで行われます。
 不問に付した陰で犯人がせせら笑っているようならその子に間違ったメッセージを与えたことになりますし、深く後悔しているのなら、そんな子に贖罪の機会を与えず放置するのはあまりに酷です。何かあった時には必ず犯人をあぶり出し必要な対応を行わなくてはなりません。

 

調査が甘くなった理由

 ただしそれにもかかわらず、私は徹底した調査をためらった学校や市教委が理解できないわけではないのです。
 菜保子さんが亡くなったのが中学校3年生の11月11日。翌月には調査結果がまとめられたといいますから、生徒への聞き取りは11月中旬から12月にかけてのいずれかの時期に集中的に行われたと思われます。しかしそれは私立高校では願書提出・入学試験も始まろうという時期です。
 学校や教委が極端に神経質になっていたのも分からないではありません。「受験をひかえた菜保子さんの個人的な悩み」という可能性に心惹かれたとしてもやむをえない側面もあったのかもしれません。

 もし万が一間違ったら大変じゃないですか。
の深刻さは、調査がこの時期でなかったら起こらなかったのかもしれません。もちろん間違ったら大変なのはいつだって同じですが、無実の者が犯人扱いされ、動揺して受験に失敗でもしたら取り返しがつきません。学校や市教委が犯人扱いしなくても、子どもたちが自らが「自分のあのときの一言が彼女を追い詰めたのかもしれない」と思い詰めるとしたら、それも心配です。

 もちろんだからと言って調査の甘さを認めるわけではありません。要はやり方次第ですから、調査にあたってはもっともっと慎重に、しかし遺族に寄り添うものでなければなかったはずです。

 

もう一つの要素

 「クローズアップ現代+」は学校・市教委・第三者委員会がいじめを認めなかったもうひとつの原因を拾い上げます。それは「いじめを認めるとそれが自殺の原因と認めることになりかねない」という組織の論理です。
 それをゲストの教育評論家尾木直樹氏が次のように補足します。

 そこにある大きな原因というのが、担任(自分)が責任を取るのは取れるけれども、でもこれは校長にも迷惑がかかるし、教育長にも迷惑かかると。結局は損害賠償とか係争になったときには、大変な金額の損害賠償も関わってくるということを、どんどん入れ知恵されてくると、先生方の口が固くなってしまって、悩みながらも本当のことが言えない、そういう状況に追い詰められてるというのが真相じゃないかなと思いますね。

 それはもちろんその通りかもしれませんが、それでは担任が(あるいは校長や教育長が)積極的に「いじめ」を認めることがいいことかというと、必ずしもそうは言えないと思うのです。

 十分な調査検証もしないでままいじめの事実を認め、いじめが自殺の原因だと暗示(または明示)することは、担任や学校が防ぎえた自殺を防がなかった認めることです。さらに言えばそこには必ずいじめの犯人がいますから、彼(または彼女)が被害者を追い詰め死に至らしめたと教師が(校長が、教育長が)断定することになります。
 これについてはもう何度も書いてきたのでこれ以上の深入りはやめますが、責任を取るべき範囲と人が明らかにならないうちになんでもかんでも認めてしまうのは、結局、不誠実であるのと何ら変わりがなくなります。

(この稿、続く)