私は自分が死ぬ日のことを、こんなふうに考えています。
どんな死に方をするのかは分かりませんが、死んだ後の道筋ははっきりしています。長い道のりを歩き、三途の川を渡り、35日目は閻魔大王の査問を受けるのです。閻魔大王――両脇に司録・司命(*1)を従えたあの赤ら顔の男です。
私の肩には倶生神(くしょうじん)(*2)という一対の神様が乗っていて、左の男神が私の生前の善行をとつとつと語り、右の女神は私の悪業を次から次へとあげつらいます。けっこう面倒くさい人生を送ってきた人間なので報告事項も多いのです。やがてウンザリした閻魔大王はこんなふうに言います。
「で、詰まるところ、お前は娑婆で何をやってきた男なんだ?」
そこで私は女神の口を押さえ、こう答えるのです。
「私の人生は、二人の子の親となってこれを育ててきた、そういうものです」
【我が人生の総括】
しばらく前、私は「現職のころを考えると嫌なことばかり思い出す」といったお話をしました。kite-cafe.hatenablog.com 本来はくよくよする性質ではないのに、現職時代のこととなると、失敗したこととか怒られたこと、人に迷惑をかけたことやウソをついたことばかりを思い出すのです。
一番いけないのは教育を生業としていたにもかかわらず、子どもたちを最後まで見届けなかったこと、独り立ちするまで確認しなかったことです。 次から次へと新しい児童生徒が目の前に現れ、それに全力を傾けなければならなかったから卒業した者まで見届けることはできない――教師として当然と言えばそれまでですが、アフターケアもアフターメンテナンスもほとんどしない、やりっぱなしの仕事とも言えます。
それに対して自分の子の方は、「十分やった」「うまくできた」という訳ではないのですが、ゼロから始めてとりあえず大人になるまで見守った、これが私のやり切った仕事だ、と言えなくもないのです。
考えてみるとサラリーマンの仕事は大方そういうものなのかもしれません。
会社に数十億円の利益をもたらしたとか、上場企業に成長させたとか、新製品の開発に成功したとか、あるいは人々の生活様式を変えたとか誰かの役に立ったとか――しかしそれは社会のほんの一コマであって、誰かから引き継ぎ、やがて別の誰かに渡し、いつか知らない誰かに塗り替えられてしまうものです。
それに対し、家庭を持って家庭を経営し、家族とともに過ごしてそれぞれを手放す――それはゼロから始めて最後まで見つめることのできる、かけがえのないものです。
結局最後の拠り所は家族なのだと、それが私の人生の総括です。平凡ですが重要なことだと 思います。
さて、こんなことを言いだしたのは、4月5日付で新聞紙面を飾った「生涯未婚率 男性23%・女性14% 最高を更新」というニュースがずっと気になっていたからです。
男性の4人にひとり、女性の7人にひとりが生涯未婚のままに過ごすーー私が人生を振り返って最も価値あると思うものに、まったく触れずに行ってしまう人たちがいる、そう考えると妙に落ち着きません。
(この稿、続く)