カイト・カフェ

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「教師の休憩時間」〜先生たちは休めない

ネットに、

news.yahoo.co.jpという記事がありました。

 執筆者の内田良さんは名古屋大学大学院教育発達科学研究科の准教授ということですが、教育学の研究者にはめずらしい現場主義者で、しばしば学校現場から良い素材を拾っては論述されます。
 今回の「『学校の先生 なぜ休憩とれない?〜』は労働者の権利として当然勤務表の中になければならない“休憩時間”が、学校の場合はまったく明記されていないばかりか先生たちも「とっていない」「知らない」という驚くべき点に注目した興味深い論考です。

【先生は分かっていない】

 内田先生はまず、
 公立の学校現場はしばしば、労務管理の「無法地帯」と呼ばれる。
とおっしゃいます。こういう観点から学校を見れば確かに無数の問題が浮かび上がってきます。例えば、
 教員の多忙化をめぐる議論のなかで、すっかり見落とされてきたのが、一日の勤務における「休憩時間」の確保である。先生たちの日常からは、おおよそ休憩時間の枠が設定されている様子が伺えない。
 それどころか 、
 先生たちに「休憩時間は何時から何時まで?」と質問すると、多くの場合、「えっ?」と戸惑いの声が返ってくる。そしてそれに続くのは、「休憩なんてない」という答えだ。
 この辺り、実際の教員の近くにいないと浮かび上がってこない問題です。

 さて、現状を確認したうえで准教授は、
「知らない」ということは、重大な問題である。知っていれば、いまの働き方が違法であることに気づき、言語化して問題視することができる。知ったからと言ってすぐに改善できるわけではないが、問題であることに気づいていないよりは、はるかにマシだ。
と、これがほぼ結論で文の最後でもう一度繰り返されます。
 教員がみずからの境遇を知って、それを言語化する。そのプロセスを経て、学校内部から声が上がり始めたとき、教員の働き方改革は一気に加速していくはずである。

 結論に関して異議はありますが、良いところに目をつけてくれた、よくぞおっしゃってくれたと感謝したい気持ちです。

【休憩の言語化は昔もあった】

 教職員も労働者であって休憩時間を与えられる必要があるという点について、多くの先生たちが「知らない」「考えてみたこともない」という事実は私もうっかりしていました。全くその通りです。
 しかし45分の休憩時間があるということについて、私個人は知っていました。たった一度ですが、それが明記された学校に赴任していたことがあるからです。もっとも当初はそれまったく気づいておらず、あることを契機に初めて覚えたのです。それは日課表の作成に携わった時のことです。

 大した変更ではないのですが日課の一部を変えなくてはならなくなり、その仕事が私の元に舞い込んだのです。もう30年以上も前のことで誰もワープロなど使わなかった時代に、私だけが持っていたからです(悪筆で自分の直筆は一字も外に出さないと強い意志に支えられ、ワープロの導入は圧倒的に速かった)。

 その作成の過程で、私は妙な記載に気づきます。
「12:20〜13:10 給食(休憩 12:30〜12:55)」
 新しく加わったものではありません。以前からあったのにまったく気づかなかったのです。しかも意味が分からない。  準備をして給食を食べている最中の“休憩”に何の意味があるのか、生徒たちがゆっくり休んでいるのはむしろ食べ終わったあとだ――そう思って担当の主任に訊くと、
「そりゃ俺たちの休憩だ。生徒、関係ない」
 ほんとうはものすごく気持ちに引っかかったのですがそれ以上無知を曝すのが嫌で、私は黙っていました。
 給食中の25分、そして2時間目と3時間目の間に堂々と記載されている「休み時間」の20分、合わせて45分が労働者としての私たちの“休憩時間”だと知ったのはそれからだいぶ経ってからのことです。20分休みなんて生徒のものだと思い込んでいた――。

言語化しても収まらない】

 おそらく当時、労働組合の突き上げに応えて県教委が指示を出した、といった事情でもあったのでしょう、一応“休憩時間”については記載してみたものの、ただし「20分休み」は先生たちにとって日記を読んだり提出ノートをチェックしたりする時間です。給食中の“休憩”は、それに「給食を食べながら」が加わっただけの超多忙な時間です(だから教員の“食べる速度”は異様に速い)。

 内田先生のおっしゃる 教員がみずからの境遇を知って、それを言語化する状況はかつてあったのです。
 私は途中から気づいたのですが日課表に「(休憩 12:30〜12:55)」が入った時には何らかの説明があったはずです。それにもかかわらず誰もきちんとした休憩を取らず、実体のない「(休憩 12:30〜12:55)」の記述もいつの間にか消えてしまいました。
 当たり前です。先生たちに訊けばこう言うに違いないからです。
「そんなこと言ったって休めるはずがねぇえじゃねえか!」

 内田先生の精力的な仕事にケチをつけるようで申し訳ないのですが、学校の異常な勤務状況は教員が労働者としての意識を目覚めさせることで解決するものではありません。
 これだけ忙しい中でも仕事が減らないのは“それが必要なもの”だからです。子どもの教育を行う上で必要なものだから絶対になくならない。

 いつも申し上げている通り、
教育内容はそのまま、仕事内容もそのままで、教員の数を圧倒的に増やすしか問題解決の道はありません。とりあえず小学校の学級担任は1クラス1.5人〜2人の複数制、中学校は教科担任の持ち時間を半減する(一日の半分は学級運営や生徒指導に充てる)
 
そのあたりでいかがでしょう。
 教員の労働環境は飛躍的に変わるはずです。