カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「一人で生きる人生」2

  昔、高校時代に同級生から聞いた話ですが、彼の両親はその昔、あわや相手の顔も知らないまま結婚式当日を迎えそうになったそうです。仲人夫妻がそれではあまりにも可哀そうだということで、式の前日、夫が新郎を、その妻が新婦を伴って路上をすれ違う形で互いを確認しあったといいます。

 後から考えると、それで気に入らないとなっても前日ではどうなるものでもありません、何のための確認だったのかと首を傾げるような話ですが、聞いた瞬間は震えあがってしまいそこまで気づきませんでした。まず頭に浮かんだのは“そんな結婚は絶対にしたくない!”ということです。
 

【恋愛に縛られる世代】

 もちろん明治・大正ではありませんから親世代の話と言ってもそこまで封建的な例は少なかったと思います。
 しかしそれでも見合いだとか親が用意した結婚だとかはありふれていて、私の両親は恋愛結婚ですが、恋愛だという理由だけで祖母には大反対されたそうです。そんな時代だったのです。

 それに対して私たちは、生粋の戦後世代です。国家主義的なもの、軍国主義的なもの、封建的なものの全否定の上に育った純粋な民主主義者ですから、見合いなどという旧時代の風習に縛られてはなりません、親に決められた結婚などもってのほかです。
 今は千葉県知事になり果てた森田健作のように剣道に青春を燃やしながら恋愛し、加山雄三のようにギターを弾きながら片っ端スポーツに手を出して女の子から喝采を受ける・・・とそこまではいかないにしても、私たちは大恋愛の末に素晴らしい結婚をしなければならない、それが私たちのあるべき姿であり、果たさなければならないことだと信じて疑わなかったのです。
 

【生涯未婚率 男性23%・女性14%】

 しかし私たちの子どもは、それとはまったく違った姿の青春を送っています。
 彼らの少なくとも一部は恋愛にまったく興味がありません。彼、彼女を欲しいとも思っておらず、他にやるべきことがあると信じ込んでいるみたいに見えるのです。

 昨日も紹介しましたが4月5日付の産経新聞に「生涯未婚率 男性23%・女性14% 最高を更新」という記事が出ていました。男性の4人にひとり、女性の7人にひとりが生涯未婚のままに生涯を過ごす計算です。

 さらに記事を読み進むと、
「別の調査では、18〜34歳の未婚者のうち『いずれは結婚したい』と考えている人は男性86%、女性89%を占め、結婚したい人の割合は高水準」
とあって、“意欲はありそうだ”という趣旨かと思いますが、裏を返せば男性で14%、女性で11%が生涯いちども結婚することなく生きようと 考えているわけで、実際この人たちが「生涯未婚率23%・14%の母体となる人たちかと思われます。
 ところで彼らは、将来にどういう人生を考えているのでしょうか?

 例えば50歳の時の自分の姿をどんなふうに思い描くのか――。
 10代・20代の頃と50代ではまったく異なります。
 社会的に要求されるものが違いますし体力が違います。同年代の四分の三以上は結婚していますから人間関係が違います。年齢相応に趣味も好みも変わってきます。10代〜20代で楽しかったことも、あまり楽しくなくなって来たりもします。もちろん年齢相応の楽しみを見つける場合もあろうかと思いますがそれも未知数です。
 しかも金銭的にはむしろ豊かになるのに、使う対象は相変わらず“自分”だけです。

 配偶者がいて、子どもがいて、という生活は想像しやすいものです。自分自身が成長の過程で見てきたものですし、テレビドラマなどでもありふれています。
 けれど「一生ひとり」という生き方のモデルは少なくとも、なかなか想像のつくものではありません。それなのになぜ、彼らは “一生結婚しない”決意ができるのか――。
 

【私たちは何を伝えて来たのか】

 もしかしたら彼らは、私たちの姿を見て恋愛結婚が決して幸せの始まりではないことを強烈に学んでしまったのかもしれません。
 あるいは私たちは、子を持つ喜びとか子育ての楽しさ、豊かさ、かけがえのない幸せといったものをうまく伝えずに来てしまったのかもしれません。

 孔子は「己の欲せざる所は人に施す勿れ」と言ったそうです。人が他人に対してできるのはその程度のことであって、自分に良かったからと言って他人に同じものを強く勧めるのは僭越なことなのかもしれません。それに現在、強く結婚を勧めることはセクシャル・ハラスメントですから厳に慎むべきかもしれません。
 しかしそれでも、例えば私の息子やかつての教え子たちの四分の一あるいは七分の一が生涯未婚で親にならないかもしれないと考えると、まったく心落ち着かないのです。

 人生を振り返って私が最も価値あると思うものに、その人たちはまったく触れずに行ってしまうのですから。

 キャリア教育(望ましい職業観・勤労観及び職業に関する知識や技能を身につけさせるとともに、自己の個性を理解し、主体的に進路を選択する能力・態度を育てる教育)とともに、良き家庭人を育てる教育についても本気で考えなくてはいけない時代なのかもしれません。