カイト・カフェ

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「運命の日」~死を恐るるなかれ②

 昨年11月の木曜日、義母が94歳で亡くなりました。

kite-cafe.hatenablog.com  諸般の事情によって翌日が通夜、葬儀はその次の日という忙しい日程になりました。

 義母の死はほぼ予定されたものだったのである程度の期間を見て準備も整っていましたが、その中で“ここしかない”という一点を狙い澄まして義母は逝ったような気がします。というのは亡くなった翌日、長年義母の面倒を見てきた義姉が、深刻な事情で病院に予約を入れていたからです。

 亡くなるのが一日早かったら二日後の葬儀と重なり、一日遅かったら予約当日ですからどちらにしても診察に行けなかったのです。
 まるで、
「明日を通夜にするから予定通り病院に行ってきなさい。通夜だったら午前中は空いているでしょ」
と指示するかのような死でした。

 ですから私は「これはきっと運がある、おばあちゃんは義姉のためにこの日に逝ったに違いない」と思ったのですが、運命はそんなに甘く優しくはなかったみたいです。

 その後数回の検査・診察を経てついた診断名は「胆管がん」。女優の川島なお美さんを死に追い込んだものと同じ病気です。しかも肺に転移がありとりあえずは手術不能ということでした。

【胆管がん】

 胆管は肝臓から胆汁を十二指腸に運ぶ管で、いわば肝臓の一部です。
“沈黙の臓器”と呼ばれる肝臓につながるものですから当然がんに罹っても症状に出にくく、(私の記憶違いでなければ)昔は開腹して「がんがあったら“見つかってよかったね”、なかったら“がんじゃなくて良かったね”と言うしかない」、それくらい難しいものでした(現在は胆管まで届く内視鏡を使って検査するみたいですが)。

 基本的な抗がん剤は三種類しかなく、しかも組み合わせて使うので投与は二通りしかないことになります(ゲムシタビン+シスプラチン、ゲムシタビン+S-1)。
 12月の末から一か月以上かけて最初の方法を試し、成績が良くなかったので二番目の方法を試している、それが今の状況です。

【義姉】

 私より一つ年上ですがどう見ても10歳以上は若く見え、40代のころには実の娘と姉妹だと勘違いされたほどの美人です。勝ち気でがらっぱちで、言葉は汚いのですが心優しい人で、私の娘のシーナは第二の母のように慕っていました。
 20年前は私の勤務の関係で三世帯(義理の両親・義姉夫婦・私の家族)一緒に暮らしていましたから、実際“第二の母”も誇張ではないのです。

 長く病んだ老母(私にとっては義母)に尽くし、ようやく解放されたときでした。
 本人の結婚が早かったこともあって二人の子はずいぶん前に成人し孫も三人という状態――つまり私もそうですが、私以上にこの世に未練を残さず済む立場と言えます。
 それだけにかえって難しい。

(この稿、続く)