カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「アメリカ大統領選挙の憂鬱」③〜世界はどうなっていくのだろう

世界は変わってしまった
深い海の底で

地中、奥深くで
大気の中でそれを感じる
かつて存在したものは消え失せた
今は誰の記憶にも残っていない

 映画「ロード・オブ・ザ・リング」のオープニング・ナレーションです。

 今回のアメリカ大統領選挙、仮にクリントンが勝っていたとしても“世界は変わってしまった”状況に変わりはなかったのかもしれません。幻のクリントン政権も、それが明らかになるのを数年先延ばしにする程度の力しかありませんでした、たぶん。

 どう変わったかというと、建前の通用しない時代になった、もしくは戻ったということです。
 選挙期間中トランプ支持者の間で繰り返された「ポリティカル・コネクトス(political correctness)にはウンザリだ」について、トランプの熱烈な支持者であるオルトライト(新右翼?)の一人はNHKのインタビューに、こう答えています。
「男と女、同性愛者も美人も醜い人もぜんぶ平等だというのがポリティカル・コネクトスだ」
 それはまやかしだ、そんな馬鹿なことはないとみんな分かっていたのに、既存の政治家は誰ひとり口にしなかった。それをトランプは堂々と言い続けた、彼はウソの壁を突き破った、彼こそ正直な人、ホンネを語る人、というわけです。

 ここではもちろん、「みんながみんな差別主義者ではない。現に私は男女は平等であるべきだと思っているし同性愛者を差別する気持ちはない、人を美醜で分けたことはない」という反論もあり得ます。それこそが“私のホンネ”だという人も少なくないでしょう。
 けれど問題は、何がホンネかということではありません。ものごとを考える上で一応共通の基盤だった「人間はみん平等だ」とか「差別はいけない」とかいった価値が、相対化されてしまったということです。
 別な言い方をすれば「そういう考え方もあるね。そう考えるのは君の自由だよ」ということになったのです。

 確かにアメリカという国は昔から胡散臭い国でした。ハクトウワシが国鳥の肉食系です。しかし同時に“ええカッコしい”の国でもあり、“正義”を前面に出さなければ何もできない国だったのです。
 “リメンバー・パールハーバー”といった合言葉がなければ日本と戦争もできない、イラク戦争の際は手間暇かけて大量破壊兵器の存在をでっち上げて、それからやっと侵攻しました。
 私は若いころ、「アメリカ人と議論になって押し込まれそうになったら、とりあえず『フェアじゃないだろう』と言ってみろ。それでうまくいくとは限らないが、相手はいったんは立ち止まってくれる。怯んでくれる。その間に作戦を立て直せ」と教えられたものです(そこまで英語がうまくならなかったのこの助言は役立ちませんでしたが)。
 “フェア”という価値観はアメリカ人にとって共通で絶対的なものだということです。

 しかしそうした“ええカッコしい”の価値はここにきてすべて見直されることになります。「ポリティカル・コネクトス」だからです。
 アメリカ人と日本人、合衆国と日本国が平等だというのも日本人だけの幻想かもしれません。かつて “ジャップ”と呼び“イエローモンキー”と蔑んだ人間が、白人と同等であるはずがないじゃないかと考える人々が、ポリティカル・コネクトス蓋を外して現れてくるかもしれません。

 もしかしたら私たちは、植民以来この国が一貫してインデアンを弾圧・虐殺し、17世紀末には重大な魔女裁判事件を起こし、20世紀にはたった2発の原爆で数十万の民間人を殺し、戦後はマッカーシーズムで大量のリベラルを弾圧し、長く黒人差別と殺戮に余念なく、つい最近までKKKが公然と活動していた国だということを、思い出さなければならないのかもしれません。

 さて、北にロシアがいます。
 旧ソ連であっても第二次大戦後、“ハンガリー革命”を蹴散らし“プラハの春”を潰しアフガンに侵攻しても、これらの国の全部あるいは一部を併合することはありませんでした。しかしプーチンのロシアはクリミアを併合しウクライナに侵攻することをためらいませんでした。

 西に中国がいます。
 南シナ海にも東シナ海にも野望をもって臥薪嘗胆、爪を研ぎ牙を磨く日々を送っています。国民は習近平政府を煽ることしかしません。

 そして東にトランプのアメリカが生まれました。
 選挙中は多少遠慮しましたが、「イスラム教徒は出て行け」「メキシコ国境に壁を造って支払いをさせる」「金を払わないなら日本・韓国から米軍を引き上げる、そのために日韓が核武装してもかまわない」と言ってはばからない男です。そして合衆国全体が(彼らの言う)“ホンネ”で動く国になろうとしています。

 私たちは子どもたちに何と説明したら良いのでしょう。
 子や孫や教え子たちの生きる時代は、どうなっていくのでしょう。