「最終回」

 「200万円の資金と一部屋をご用意ください。塾経営で月々60万円の収入」

 三十数年前、私が勤めていたフランチャイズの塾経営会社のキャッチコピーです。そんなチラシをあちこちで配りました。ウソとは言い切れません。

 資金の一部を使って一部屋(8畳)に机を4台入れます。他に黒板や教具一式、看板、生徒募集のチラシ配布(2回)。4台の机には12脚の椅子が置けますので1教室は12名です。小学校3年生から中学校3年生まで7クラス。それで最大84名。当時の月謝は小学生2教科8000円、中学生3教科16000円でしたから総収入は96万円ほど。そこから会社に入れる講師料・教材費・フランチャイズ料が35万円ほど。だから月々60万円の収入なのです。しかしここには書かれていない現実があります。

「小学校3年生は12人なんて来ない」

 ゼロならまだしも一人でも来ると講師を確保しなくてはならなくなり、会社に納入する35万円はほとんど減らない。しかし総収入はまったく伸びない。かくして60万円の収入どころか、毎月赤字の教室が続出するのです。

 しかも会社は最初の200万円欲しさに、それと知らず応募してきた顧客は隣り同士でも塾に作り上げてしまおうとする。さすがに同じ名前ではバレるので、名前を変えて開設。おかげで塾の名前が3種類。それに合わせて会社名も3種類、さらにそれに合わせて会社も3フロアー借りて社長が3つの階を行ったり来たり・・・。

 組織が腐れば人間の腐ってしまい、パートに来た人妻と出奔する者、会社の金を使い込む者、最後は“専務”まで会社を食い物にしていることが分かり、さすがに私もやっていけなくなりました。私がいたのは営業部門ではなく、教材をつくり講師を回し、時には自らも教えに行く教務の部門でしたが不正に力を貸し続けるのは限界があったのです。

 仕事を辞め、田舎に戻り、教師になりました。1983年のことです。以下の話は再三してきたものなので覚えている方も多いと思いますが、その4月1日を生涯忘れまいと思い、今も忘れずにいます。

 当時のことなので歓迎会の夜は二次会・三次会・四次会と果てしなく飲み続けるのですが、その間先生たちはずっと子どもと教育の話をしているのです。世間が狭いといえばそれまでですが、何と純粋な人たちなのだろうと本当に驚きました。世の男たちがそろそろ性的な話に花を咲かせようという時刻に、「アイツをどうするか」「授業をどうするか」と話しているのです。汚れた世界で何年も生きてきた私には夢のような話でした。

 そのような人たちと一緒に生きられるのは本当に幸せだし、長じてこの人たちの上に立つことになったら絶対にこの人たちを守る仕事をしよう。

 その夜、誓ったことは今も私の胸にあります。

 しかしあの頃に比べると、学校はずっと難しいものになっています。社会から要求されるものはとんでもなく大きくなり、それを学校は唯々諾々と受け入れてしまいます。社会から守ろうとする私の背後で、学校がボロボロ崩れていくのです。

 優秀で大量に仕事を抱える先生たちがどんどん消えていく。病気で倒れ、不祥事に身を持ち崩します。これだけ仕事をしながら社会的評価は下がる一方で、給与も年金も減らされていきます。

 私は何とかしなければならないと思いながら、その術を知りません。このまま学校を去るのは痛恨ですが、今はそうするしかありません。

 学校を出れば発言の場は極端に減ることは知っています。しかし何とか活路を見いだし、学校の窮状と子どもの未来を訴えていきたいと考えています。学校が窮すれば、その被害は教職員ばかりでなく児童生徒も蒙らなければならないからです。

 長い間、ありがとうございました。