「鎮魂の日」~東日本大震災から5年

 3月11日、5年目の鎮魂の日。奇しくも今日は、あの日と同じ金曜日です。

 あの日、私はテレビの映像を見てから一足早く学校を出て、かつて私が勤めていた学校にいた児童の入院する病院に向かいました。心臓に病気を持つ子で、長く見守ってきたのですが15歳の冬に発作を起こし、意識不明のまま低体温療法を受けていた子です。

 津波が大変な被害を東北地方に及ぼしていることは容易に想像はできましたが、三陸津波やチリ津波の経験のある地域のこと、みんな一斉に避難していて死者が出るにしても数十人がせいぜい、それだったら通常の台風被害と大差はありません。その程度で済むだろうと嵩をくくってニュースから離れたのです。
 まさか死者行方不明者2万にも及ぶ大災害になるとは夢にも思いませんでした。11日の段階では本格的な被災地の映像も入ってこず、電話取材で語られる「海岸線には数百の遺体が浮かんでいるが繰り返される津波のために確認に行けない」といった話も著しく現実感を欠いたものでした。

 現実感を欠くと言えば翌12日、福島第一原発一号機の水素爆発はテレビ放送の中で「あ、一号機の建屋がありませんね」といった話で始まったので、これもピンとこないものでした。
 私はただ「あ、日本、終わった」と心も動かぬまま思ったのを覚えています。チェルノブイリ同様に放射性物質が雲霞のごとくまき散らされると感じたからです。
 日本の暗黒時代は今日から始まる・・・・・・。そんなふうにも思ました。しかしそうではなかった。

 東日本大震災はたいへんな災厄として深い爪痕を残しましたが、その中に希望がなかったわけではありません。
 この災害を通じて、日本は世界にその高い文化性を示すことができました。

 重篤な自然災害に際しても人は尊厳を失わずにいられるということ、
 略奪などしないでも生き抜くことができるということ、
 譲り合うことが獲得への最短距離であるということ、
 見知らぬ同士が支え合えるということ、
 人は教育によっていななる困難にも整然と対応できるということ
 役割を積極的に担い責任を負うことができるということ、
 それらは日本人が初めて、世界に示すことのできた人類の気高さそのものなのです。

 そしてそれはブーメランのように立ち返り、日本人は初めて日本人としての誇りを取り戻すことができたのです。「だから日本人はダメなのだ」「そんなことをしているのは日本人だけだ」といった表現は、あの日を境に一切マスコミ上から消えてしまいました。
 それが2万人の犠牲に見合うものなのか。

 それは今後の私たちの生き方にかかっているのかもしれません。
 この災厄の経験を世界に広めること、2万人を犠牲にして手に入れたもので何十万人もの命を救い平和な世界を築くこと、それが私たちと私たちの子どもたちに課せられた使命のように思うのです。

 鎮魂の日、私は繰り返しそのことを思います。