カイト・カフェ

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「市場規範に侵される学校」〜賢い教育消費者の話②

 夜のニュースを見ているうちにウトウトと眠ってしまい(こういうことは現職時代にはなかった)、寝返りを打った瞬間にリモコンを肩で押してテレビがEテレに切り替わってしまいました。そこではお笑いの又吉直樹が出ていて、対談形式で「市場規範」と「社会規範」という難しい話をしていたのです。内容が面白くて思わず身を乗り出したのですが、すでに終了間近で最後の部分しか見ることができませんでした。
 そこではこんな話が紹介されていました。
「ある保育園でお迎えの時刻に遅れる保護者があとを絶たず、そこでお迎えの遅刻には500円の罰金を科すという方針を示した。ところが遅刻者はさらに増えてしまった。そこで園は罰金を廃し以前と同じように無料としたが遅刻者が昔のように減ることはなかった」
というのです。
 番組ではこれを「市場規範の不適切な適用によって壊れた社会規範は、容易にもどらない」と説明していました。

 最初の段階(まだ罰金の創設される前)では、保護者は保育士さんたちに残業させてはいけないという想いで必死に迎えに行っていました。実際には遅刻することがあっても、それなりに努力していたのです。そこには「遅れて迷惑をかけてはいけない」という「社会規範」がしっかり根付いていました。

 ところが第二段階になって罰金制度が導入されると、「お金を払えば遅刻できる」という市場規範が幅を利かせるようになるのです。保護者は500円さえ払えば堂々と遅刻できるようになりました。「対価を払えば必要なサービスは受けられる」――それが市場原理であり、その原理に基づいて構成されるのが市場規範だからです。

 第三の段階で、保育園は再び前の状況に戻します。しかし社会規範の多くは自然発生的なものであり構成員全員の(いわば)「思い込み」によって成り立っていますから、一度崩れると元には戻りません。保護者たちに共通の思い――少なくとも一部の保護者が強烈に感じていた思いを、園が裏切ったからです。

 ウツラウツラしていた私がこの話に飛びついたのは、昨日ここでお話ししたことを「市場規範」「社会規範」はうまく説明してくれると感じたからです。

 子どもを学校に上がったからPTA活動に参加するというのは社会規範です。保護者も学校に時間やエネルギーを出すべきだという暗黙のルールなのです。けっして「任意団体だから入らなくていい」ということに無知だから行っていたわけではありません。
 家庭訪問で先生を部屋に上げ、子ども部屋などを見てもらった上でもてなす、というのも「社会規範」です。賄賂を贈って子どもの利益を引き出そうといった「市場規範」によって行われてきたものではありません。

 そうしたものをひとつひとつ削り、
「保護者の皆様には一切ご負担をおかけしません。『より少ないご負担でより高い学力と情操を!』それが本校のモットーです」
と言い始めるから厄介なのです。

 その責任のすべては政治家や社会・マスメディアあるとは言いません。
 一部の「エエカッコウシイ」の教師や学校が、進んでそう言い続けたことを私が知っているからです。

(この稿、続く)