カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「あれ?」~“おひけえなすって”、三つ指をつく、土俵入り、礼砲・・・あれ? 何の話だっけ?

 今は時代劇も廃れてしまい、清水次郎長だの森石松だの言っても何のことかわからないひとが多いのかもしれませんが、私の子どものころは浪曲ブームの名残もあり、また現代ヤクザが主人公の映画「仁義なき戦いシリーズ」の影響もあって男の子は少なからず“その世界”に詳しいものでした。
 私はそうでもなかったのですが妙にマニアックな友だちもいて、
「なあ、T。あの、ヤクザが“おひけえなすって”って挨拶するときの右手な、あれは手のひらを上に向け、緩く開いて見せるんだ。指を揃えちゃあいけねェ、ましてや親指を中に折るなんざあ最低だ。要するに指の間に刃物は隠していない、敵対しませんっていう意味だからな」
 そんな知識が学生生活を豊かにすることも、そんなしゃべり方が男同士を成長させることもありませんでしたが、この“正式なヤクザの挨拶”というのは頭の隅にこびりついていて、映画やドラマでそうした場面が出てくると、自然、注意してみるようになっていました。そしてほとんどの場合、彼の言う通り指は緩く開いて手の中を見せるようにしていました(富司純子さんは親指を折っていましたが)。

 “三つ指をつく”という挨拶の仕方があって、これをやってみろ、というとたいていの人は両手の人差し指と中指、薬指を畳につけます。しかしこれも“おひけえなすって”と同じ理由から、つくべき指は親指・人差し指・中指です。両手の親指と人差し指でひし形をつくるように置き、その中に鼻を入れるようにする、という解説もありますが、やってみるとあまり格好良くありません。

 相撲の土俵入りも、手の中にも、脇の下にも、脚の間にも、全身どこにも武器は隠しておりませんという意匠で、下帯ひとつになるのも一点の曇りもない正義を表しているのだと聞いたことがあります。

 昔の大砲は砲筒の口から火薬と球を込め、棒で押し込んでから点火しました。したがって一発撃ったあとには必ず同じ作業が必要となり、その作業を“しない”というのは恭順を示すことになります。「弾は撃ってしまいました。もう中には入っていません」ということです。
 ヨーロッパの国々で国賓を迎える際に礼砲を撃つのは、そうした意味からだそうです。

 多くの動物は“腹を見せる”ことで恭順の意を示します。サルの一部はマウンティングを受け入れることで反抗の意思のないことを表現します。

「負けました」「参りました」「あなたの方が上です」「反抗しません」・・・そういった表現はかなり基本的なものであって、人間が類人猿のころからさまざまに発達させてきたものかもしれません。

 さて、そこまで話して、続けて教育と人間関係に関わる何かの話をしようと思ったのですが、書いているうちに忘れてしまいました。そこで仕方がないのでここでやめにします。