カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「雪洞(ぼんぼり)」

 確か十数年前にも今回と同じように2週連続で大雪が降り、ボロボロになったことを思い出しました。あの時は娘の小学校のPTA地区委員の仕事をしていて、おかげで通学路の雪かきもせねばならず難渋しました。
 さらにそこから、今度は集合のかかっていた勤務校に出かけたら、校内は全く手つかずの状態。聞けば午前中、自主的に集まった数十人の保護者を、校長が「大丈夫です、けっこうです、校内は職員にやらせますので、どうぞお帰り下さい」とか言って追い返してしまったとか。せめて職員の駐車場くらいかいておいてもらえば、路上駐車で世間様に迷惑をかけずに済んだものをと恨めしく思ったりしたものでした。とにかく雪かき要員の車を入れるのが大変なのです。

 今回も丸二日間雪かきに精を出したのですが、十数年前と決定的に違うのはこちらの体力的衰えで、疲労の度合いは(ボロボロという意味で)まったく同じなのに、仕事量は決定的に違います。それになにより気持ちが前に行きません。
 考えてみると自分の子のために滑り台やかまくらをつくってあげるという楽しみもなく、誰が誉めてくれるという訳でもありません。さっぱり面白くないのです。

 そこで思いついたのが、積んだ雪山に穴を空け、そこにローソクを立てることです。灯を点すとぼんやり明かりが膨らんで、雪を透かして外に漏れてくるのです。何か急にうれしくなって、まだ雪の降りしきる中、いそいそと外にでかけました。

f:id:kite-cafe:20210316090143j:plain

「ぼんぼり」は辞書で引くと「雪洞」という漢字を出します。意味を読むと「灯をともす部分の周囲に紙または絹張りのおおいをつけた手燭(てしょく)・燭台。または柄と台座をつけた小さい行灯(あんどん)。せっとう」デジタル大辞泉)です。また別の辞書には「ぼんぼりは江戸時代には主に『ぼんやりとはっきりしないさま』『物が薄く透いてぼんやり見えるさま』などの意味で使われており、『ぼんぼりと灯りが見える灯具』という意味でついた名であろう」(語源由来辞典)とあります。しかしなぜ「雪洞」の字が当てられるのかは分かりません。

 ひらがなではなく漢字の「雪洞」で調べると当然、「雪に掘られた、人が入れる大きさの横穴」Wikipedia)が出てきます。そして続けて「かまくらも参照」と書いてあるのです。それで初めて合点がいきました。
「ぼんぼり」と呼ばれる灯具は、きっと雪国の「かまくら」で子どもたちが中に灯を点した時の印象から、あの字が当てられたに違いありません。私の小さな「雪洞」も、まったく「ぼんぼり(物が薄く透いてぼんやり見えるさま)」なのですから。

 不思議なことに雪の中に穴を空け、その中にローソクを立てても融けた雪が火を消すことはありません。雪洞の天井部分は融けて穴が空いて行くのですが、なぜか水が落ちることはないのです。またローソクが短くなって雪に沈めた部分まで行っても消えることはありません。火はロウと雪を同時に溶かしながら、一番下までさがっていくのです。したがって芯の燃えカス1cmほどを残し、見事に全部なくなってしまいます。

 残念なことに我が家の前は人通りの少ない側道です。クリスマスのイルミネーションではありませんが、たくさんの人が真似をして、街中が小さな「雪洞(ぼんぼり)」でいっぱいになればきっとすてきだと思うのですが。