カイト・カフェ

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「安藤昇・昭和は遠く・・・」

 土曜日の新聞の片隅に小さな死亡記事が出ていました。

 安藤 昇氏(あんどう・のぼる=俳優)
 16日午後、肺炎のため東京都内の病院で死去、89歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行う。後日、お別れの会を開く予定。

 戦後、ぐれん隊「安藤阻」を結成。俳優に転身し、東映やくざ映画で活躍した。自らの体験を基にした「血と綻(おきて)」をはじめ、「現代やくざ 人斬り与太」「総長の首」など多数の作品に出演した。
 著書に「激動」「やくざと抗争」など。

 これだけでは何のことかわかりません。
 俳優としても作家としても歴史に名を残すような人ではないと思うのですが、しかしこの人、昭和の暗黒史には暗然と記される人です。

 子どものころから犯罪傾向が強く、15歳で感化院、18歳で少年院に入ったあと予科練に入隊して特攻隊に志願。終戦後はいったん大学に進学し(中退)、その後会社を興してしばらくは不動産業や各種興業を生業としていたものの、やがて賭博などに手を染め暴力団へと成長させていきます(警察の分類では暴力団ではなく「愚連隊」ということになるそうですが)。
 安藤組と呼ばれるこの組織は安藤自身に言わせると東大以外のすべての有名大学の学生・卒業生がそろっていたされるほどのエリート集団で(このテの組織としては)、背広の着用、刺青・指詰めの禁止など独特のスマートさで一時は2000人もの構成員を集めたと言います。
 そうした闇組織の安藤組が世間の耳目を集めたのは1958年の「横井秀樹襲撃事件」のためです。

 これは社長子飼いの取り立て屋として働いていた安藤が、横井の横柄な態度に激怒して手下を派遣し、銃弾を撃ち込んだというものです。これによって安藤は実刑となり、6年余りの服役ののち出所して組を解散、自叙伝「血と掟」が映画化された際に主演し、以後ヤクザ映画の常連となっていくのです。
 安藤昇の来歴としてはこれだけなのですが、彼が差配した襲撃事件の被害者である横井秀樹と言う人物、これが曲者です。

 戦時中、海軍に取り入って財を成した横井は、戦後の重大な買収事件にことごとく顔を出します。しかも安藤昇の名前が出て来るように、横井の買収劇には暴力団や愚連隊、総会屋といった裏家業を専門とする人々がかなり関わって、キナ臭い匂いがプンプンとするのです。
 特に泥沼化したのが白木屋デパートの買収事件で、「横井秀樹襲撃事件」はその混乱の中から生まれた事件でした。またのちに問題となる富士屋ホテル事件では小佐野賢治児玉誉士夫という、後年ロッキード事件で世間に名を馳せる大物たちを向こうに回し、株の奪い合いの大立ち回りを演じたりしています。

 ただしそれらは1964年までの事件で、子どもだった私には理解できないことでした。横井秀樹の名を知るのは、ずっとのちの「ホテルニュージャパン火災事件」(1982年)からです。

 死者33名を出したこの火災は、朝のニュースでまだ煙の上がるホテル前からの実況中継があったり、火焔の吹き出る窓の間の壁に貼りつく男性の姿が記録されていたりしてかなり衝撃的なものでしたが、ホテルのオーナーとしてインタビューに答えた横井社長の横柄な態度はさらに衝撃的でした。反省の態度がまるでみられない。自分こそ被害者と言う感じなのです。

 火災がそこまで大きくなった原因として経費節約のための著しい防火設備の不足、従業員の不足、防災教育をはじめとする従業員教育の不足などが指摘され始めると、社会の批判は一気に横井へと向かっていきました(結局、横井はその後「業務上過失致死罪」によって金庫3年の実刑に服することになります)。
 私はそれを契機として横井秀樹について調べ、そこから安藤昇にたどり着いたのです。

 教師として近現代史を教える際に横井秀樹のような人物について扱うことはありません。しかし明治に遡れば渋沢栄一五代友厚後藤新平、大正昭和に至って五島慶太・竹中錬一・小佐野賢司・瀬島龍三といった人々が政治を裏舞台で暗躍していたことも事実です。そうしたことも意識しないと、近現代史は見えてこないと考えていました。
 最後の政商と呼ばれた瀬島さんが亡くなって8年。安藤昇はそれに比べるとずっと小さな存在ですが、その死はやはり「昭和は遠くなりにけり」の感を引き起こします。

 ちなみに横井秀樹の全盛期、その長男は映画若大将シリーズの有名女優、星由里子さんと結婚しています。その際のウェディングケーキの高さ、8-7mは長く芸能界の最高記録でした。結局この結婚はわずか80日で終わりますが、遠野なぎこさんが立て続けに更新するまで、芸能界で長く最短記録を誇っていたと思います。