「オー・マイ・ゴッド!」~ひとを罵るのに「神」を持ち出す理由

 何か失敗を犯したとき、不運に見舞われたとき、誰かに嫌な思いをさせられたとき、普通の人は何と言って呪ったり罵ったりするでしょう?
「チェッ」「クソ」「クソったれ」「クソが」「クソめ」「クソ喰らえ」「コンチクショー」「畜生め「あの野郎」「この野郎」「あんにゃろめ」「なんてこった」「なんてこったい」(書いているうちにだんだん気持ち悪くなってきた・・・)。
 英語だと「Oh my God!」「Jesus!」「Shit!」「God dam!」と言ったところでしょう。
「Shit(クソ)」は別として、ここで問題となるのは「God」だの「Jesus」だの、“神”が呪いや罵りになることです。これはどういうことなのか――実はここには明白な答えがあるのです。

 それは旧約聖書出エジプト記」(英語では「エクソダス」、そこが何となくすごい)20章3節以降にある「十戒」のためなのです。その三番目。
「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう」(20章7節)

 つまり「主」とか「神」とか「イエス様」とかいった言葉は、キリスト教圏では“絶対に使ってはいけない言葉”なのです。禁忌という意味では人前で「クソ」と言うのと同じ、場合によってはそれ以上なのです(“場合によっては”というのは相手が敬虔なキリスト教徒であるような場合。実際ネット上には、英語教室で鉛筆を落とした日本人が「Oh my God!」と呟いたら外国人教師が烈火のごとく怒り「そんなのは英語ではない。英語でない言葉を学びたいなら教室から出ていけ」と叫んだという話がありました)。

 私たちは映画で「Oh my God!」だの「Jesus!」だのをしょっちゅう聞いていますからそれが日常のように思ってしまいますが、案外、下品な、教養のない、チンピラだけの世界なのかもしれません。しかしまた、名のある新聞にも出てくる表現だと考えればそれほど神経質にならないでいいことのような気もします。いずれにしろ私たち外人には扱いかねる言葉ですから、使わないに越したことはないでしょう。そもそも日本語で話しているときだって「クソ」だの「チクショー」だのは言わない方がいいに決まっていますから。

 旧約聖書は分厚い本ですからなかなか読む気になりませんが「創世記」や「出エジプト記」くらいは読んでおくといいかもしれません(私もその辺りまでです)。せめて「十戒」くらいは読んでおくと、十字架や磔刑キリスト像はあるのにエホバの像がないのはなぜかといった基本的なことも分かります。

出エジプト記」の最後の方に、十戒を掘りこんだ石板を納める豪華な箱のつくり方が書いてあります(しかも延々と詳しく)。神がそのようにつくることを命じたのです。
 その箱には二本の棒が差し込まれ、神輿のようにかつぐことができました。紀元前600年くらいまではエルサレムの神殿にあったことがはっきりしていますが、いつの間にか失われています。なくなった事情についても聖書には全く記載がありません。これが「失われたアーク」です。

 昔、「インディー・ジョーンズ 失われた聖櫃(アーク)」という映画を見た後で調べたのですが、それ以前に知っていれば映画を見るときの気持ちも違っていたのではないかと、悔しい思いをしました。

f:id:kite-cafe:20210316083748j:plain