カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「スポック博士の育児書」①

 今日は昨日の続きで、10年前の三つの小1女児殺害事件によって日本中が小パニックとなって各種安全対策が取られた、その結果、四六時中、大人に見守られ保護されるようになった日本の子どもたちはどうなっていくのだろう、といった話を書くつもりでした。

 日本という国はもともと子どもを神聖視して、厚く保護し守る国でした。「7歳までは神のもの」とか「7歳までは神の子」とかいうように、数え年の7歳までは現世の存在ではなく、いつ神に召されてしまうかわからない、頼りなく、はかなく、神聖なものと考えられていたのです。
 そんな国に欧米の人権思想が入り込んでさらに子ども手厚く守り、その上、数々の不審者対策によってもう一歩深く、子ども囲い込む、そんなふうにがんじがらめになった子どもは、今後どう生きていくのだろう、ということです。
ところがその途中の「そんな国に欧米の人権思想が入り込んで」の部分をもっと具体的にしようと思って、

「欧米の文化はキリスト教の原罪意識によって支えられています。人間はそもそも罪を背負ってこの世に生まれるのであり、赤ん坊は中でも最も罪深い存在です。なぜならまだ何の贖罪も行っていないからです。
 したがって子どもは厳しく育てられるべきであり、きちんと育てられなかった赤ん坊はやがて悪魔になってしまう――とまでは言わないまでも、罪深いままこの世に生き続けなければならない、そんなふうに考えられました。
 そして体罰が横行します。なんとしてきちんと育てなければならないという強い強制力が働くのです。“教鞭”という言葉があるようにアメリカの教室には鞭が置かれ、古い時代を描いた映画を見ると、子どもはしばしばズボンを下して大人の“愛の鞭”を受けます。トム・ソーヤーやハックルベリー・フィンがそうです。
 しかしふたつの世界大戦を通して世界最強国になったアメリカは、やがて反省の時代を迎えます。暴力を使わない、厳しくも辛くもない子育て、そうしたものが求められたのです。
『スポック博士の育児書』は受容と寛容を旨として、さらに親も不本意に苦しむことなく育児すべきだと説いた点で画期的でした。だからこそ爆発的に受け入れられました(俗に、第二次大戦後、聖書に次いで売れた本などと言われています)。
 ところが日本には最初から“鞭”の文化がありませんでした。渡辺崋山の絵にあるように、教室で子どもが暴れても先生は困惑しているだけで決して殴ったりしなかったのです。
 子どもを子どもだからという理由だけでとてもかわいがらり慈しんだ日本、そこに『スポック博士の育児書』のような思想が重なったらどうなるのか――」
と、そんなふうに書くつもりで、「ハテ、ところでスポック先生の代表的言葉ってなんだったっけ」と思いながらネット検索を始めたら、とんでもない文章に出合ったのです。というか、私にとって、とんでもない文章だらけだったのです。

「『スポック博士の育児書』では、たとえば、次のような記述がされている。
『3ヶ月以降になったら、(子供の自立を妨げるので)夜子供が泣いても放っておく」

『抱きグセがつくので、泣いても抱っこをしてはいけない』
『おっぱいに甘えるクセがつくので、母乳よりミルクを与える』」

 あれ? 「スポック博士の育児書」ってこんなのだったっけ? 私の思っていたのとまったく違っている。

 もしかしたら「スポック博士の育児書」は二種類あって、どちらか一方が有名なアメリカの小児科医の著書で、もう一方がスタートレックの異星人科学者の書いたものなのかもしれません。 

(この稿、続く)

f:id:kite-cafe:20200613094042j:plain