「事態は動いている」~道徳の教科化の目指すところ

 一昨日(3日)の衆議院予算委員会で、質問に立った生活の党・畑浩治議員が次のような質問をしました。
「巨大自然災害が起きたときに見られるような日本人の道徳心・公共心・助け合いの精神などの素晴らしさを見れば、あれだけの災害で暴動も起きず整然と行動した日本人に、今さらそれ以上のどんな道徳心、どんな愛国心を鼓舞する必要があるのか」

 私も常々言っていることですが、非常に的を射た質問です。もっとも誰でも思いつくことで、なぜ今頃になって出てくるのか、その方がむしろ不思議なくらいです。

 それに対して安倍首相は、
「確かに被災地において助け合ったこれは世界の人々から称揚され、ほんとうに驚異の目で見られたのは事実です。まさに私たち日本人の誇りであったと思います。またあの3・11の際には日本中の若者を始め、様々な人々が被災地に入って自分のできることをしようとした。こういう精神こそ素晴らしいと思う。しかし他方、学校でいじめを苦にして子どもたちが自らの命を落としているのも事実です。(中略)いじめという行為は卑怯である、いじめなんかしちゃあいけないということを、規範意識としてしっかりと教えていくことも大切なことではないかと思う。また日本人としてのアイデンティティをしっかりと確立していくことも大切なことです。(中略)そうしたことを踏まえて、道徳教育を特別の教科として位置づけ、目標・内容の見直しや教員養成の充実などを行い、抜本的な改善・充実を図っていきたいと思います」

  それを受けてさあここから論戦だ、畑議員は何を言うかと思ったら、
「教育についてそのようなことをしっかりやっていく必要性は私も否定しないし認めます。そこで教育と少し切り離して・・・」とか言って、唐突に話を憲法問題に移していってしまいました。ほんとうに呆れました。せっかく本質的な質問をしておきながらなぜさっさと手放すのか、偉い人のやることは理解できません。

  ただしこのやり取りからはいくつかのことが分かってきます。
 一つは「日本人としてのアイデンティティ」の問題を除くと、いじめ以外に道徳教育を充実させなければならない決定的な理由がないこと、逆に言えば「日本人としてのアイデンティティ」問題こそ道徳教育改善・拡充の本丸だということです。安倍総理が必要としているのは自分たちと同じ価値観を持つ「日本人としての同質性」です。この国に対する誇り、日本人としての強烈な自己意識、防衛意識。辺野古への米軍基地移設を促進させ、原発再稼働を容易にするような日本人の統一性を、道徳の教科化によって果そうとしているのです。

 しかしそれは現在手にしている日本人の道徳性を棄損することにはならないか、それが私の心配するところです。例えばかの国の反日暴動に連動して、強烈な自己意識に目覚めたこの国で反中暴動が起るというようなことです。
 人間は心も有機的な存在です。どこかをいじれば別のところも同時に変化します。現在の道徳性の上に何かを単純に“乗せる”とうわけにはいかないのです。

 一方首相の発言からは、いじめに対する理解の軽薄さも見えてきます。
「いじめという行為は卑怯である、いじめなんかしちゃあいけないということを、規範意識としてしっかりと教えて」行けば納まる、と考えるのはあまりにも無邪気です。子どもの心と人間関係はそんなに単純なものではありません。
 もっともこれは安倍総理に限らず社会全体に蔓延する誤解であって、私たちもそれを十分正確に伝えてはいません。うまく伝えることができないでいますから私たちにも責任はあります。
 いずれにしろ道徳の教科化問題は私たちをのっぴきならないところまで連れて行ってしまう可能性があります。注意深く見ていきたいところです。

 ところで文科省の資料によると、教科書をつくるなどして真面目に道徳の教科化をやっているのは韓国・中国くらいなものです。現在もっとも厳しく安倍首相を糾弾している国に倣って教育政策を進める――安倍首相はそうした滑稽さに気づいていないのでしょうか。