「不登校対応の極意:この子の親友だったら何と言ってあげるのだろう」~不登校もいじめも過去最多について⑨

もっともカウンセリングに向かないはずの親にしか、
もっとも有効なカウンセリングはできない。
不登校の回復の過程は、
親が優秀なカウンセラーとなる過程なのかもしれない。
という話。(写真:フォトAC)

不登校の着地点】

 不登校の指導の場で「登校することが目的ではない」という言い方があります。しかし子どもが生き生きと学校に通うようになったら、それが最良の状況であることは間違いないでしょう。何といっても日中、同い年の子どもが一番多くいる場所が学校ですからさまざまな経験ができます。
 しかし何も学校に行くことがすべてでないことには私も同意します。学校外に生き生きと生きることのできる場所があれば、あるいは学齢期を過ぎたあとで生き生きと生きる世界があれば、それはそれでいいのです。

 つまり目指す着地点は「生き生きと生きられるようになること」であり、それもできれば早い方がいい。20年、30年とたって40歳・50歳となると、なかなかその位置から始められる世界はがないからです。
 しかし早い方がいいからと言って、2カ月~3カ月でというのも、可能性がないわけではありませんが目標とするには短すぎるような気もします。こじれてしまった不登校の、回復への道筋はもともと長いのが当たり前だからです。

【モデルケース:回復の過程】

 私は不登校の回復の道筋を、親の立場から次のようなものだと考えています。

  1. とにかく励まして学校に生かせようとする時期。
  2.  学校に行けないのはいじめや体罰、あるいは病気が原因ではないかと考え、学校や病院に激しく迫り、巡る時期。
  3.  すべての可能性を探り終えてこれは精神的な問題だと腹を決め、自らネットなどで調べるとともに心療内科やカウンセラーのもとを繰り返し訪れる時期。
  4.  次第に八方塞がりとなり、絶望とわずかな希望の間を行き来し始める時期。子どもに強く働きかけることもなくなり、会話も少なくなる。
  5.  不登校が半年、一年と続き、学習面や友人関係で原状回復がまったく望めなくなり、諦めと不安が静かに繰り返される時期。
  6.  子どもに対して一般的な人生設計ができなくなり、戸惑いながら毎日を送る時期。
  7.  やがて日常的な会話ができるようになって穏やかに過ごすことの多くなる時期。
  8.  子どもが前向きな話を始めるようになり、新たな設計ができようとする時期。
  9.  子どもが生き生きと社会を過ごすようになる。

 実体験および研修などで学んだ様々な話から、私が考える最上の過程がこれです。これでもほぼ最上です。1~6までが2年~3年、7~9までもおよそ2~3年と、分析にも年数にも何の根拠もないのですが、そんなふうに感じています。もちろんずっと短く終わる例も、終わりが見えなくなる例もあります。

【親子関係と親である自分のすべてを洗い流す】

 この間、親の中で起こっているのは、その子にかけた願いや思いを奪い取られ、人生とはこうあるべきだとか幸せとはこういうものだといった信念や思い込みも洗い流し、自分は子育てに失敗したといった自責も世間に対する見栄も消えて、ただ側にいる、淡々と一緒に暮らしている、そういう親子関係への変化とそこからの再生の物語です。

 私は昨日、「親と同じように長く一緒に過ごせる人間がいない以上、親ほどカウンセリングに向いた立場はないのに、利害関係者であまりにも深くかかわってきたため、親は最もカウンセリングに向かない」といった話をしました。その「利害関係者であまりにも深くかかわってきた」という部分がなくなり忘れ去られると、あとに残るのは「親ほどカウンセリングに向いた立場はない」だけです。
 子どもと穏やかに話し合える日常が戻ると、また昔のように「こうあるべき」「こうすべき」と言った話を始めて台無しにしてしまう人もいますが、昔と違った対応をして子どもを外の世界に連れ出すことのできる人もいるのです。

【極意:この子の親友だったら何と言ってあげるのだろう】

 私は長いこと、すべてを洗い流した親子がどういう会話をしたら新たな一歩を踏み出せるのか、明確なイメージを浮かべることができませんでした。ところが今回、改めて不登校について考え、あれこれ調べていたらとてつもなくすばらしい考えに出会ったのです。それは一昨日ご紹介した「中1から不登校5年の母が気づいた『最大の失敗』 自分自身を見つめ,行動を改め、親子関係は激変した」(2022.11.06 東洋経済)にあった次の一節です。
 そんな私が今でもやっていることで、親子の溝を埋める効果的な取り組みがあります。それは、
「もし、私がこの子の親友だったら何と言ってあげるだろう?」
という視点で子どものことを考えることです。

 プロのカウンセラーならどう言うだろうと考えるよりも、はるかにイメージがわきやすく有効な見方です。なぜなら“親友”は親に匹敵するほどの愛情でその子を支えようとしますが、利害関係者ではない。その子が立ち直ろうとそのままでいようと、“親友”の人生は基本的に大きく変化することもありません。だから安心して話を聞くこともできるし、共感できれば無条件に頷くこともできます。人生経験が豊かなわけではありませんから訳知り顔で説教したり、常識的な答えで失望させたりすることもないでしょう。
「なるほど」
「そうなんだ」
「で?」
「わかる、わかる」
 そうした受けごたえができるのも“親友”だけです。”親”だとなかなかこうはいかない。

 いっぱしの大人で本来は親である存在が“親友”の思考をたどるのは簡単ではありませんが、練習でたどり着ける範囲でしょう。何にしてもその前に、利害関係や見栄や常識にとらわれてている自分から一刻も早く抜け出し、抜け出した自分を子どもに認めてもらわなくてはなりませんから、時間のかかる仕事であることに変わりはありません。

 もちろん行うべきは、
「本人が、心の中にある曖昧模糊とした不安や苦しみ、悩みや哀しみ、怒りなどを、見えるかたちに表現するためのお手伝い」
です。

(この稿、終了)