カイト・カフェ

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「人権教育旬間」③〜分類

 1999(平成11)年に起ったいわゆる「名古屋中学生5000万円恐喝事件」は、事件が報道されている間じゅういじめ問題として扱われていました。その後加害者たちが逮捕され、少年院送致や保護観察になってようやく「恐喝事件」として定着しました。処分の理由がそれだったからです。

 しかしこれはどう見ても最初から暴行・恐喝事件でしょう。被害者と加害者は最初から「被害者―加害者」で、それ以外の関係はありませんでした。被害者が蹴られたり殴られたりしたのはそうすれば無尽蔵にお金を吐き出すからで、その点では分かりやすい犯罪です。いわゆる「いじめ問題」の難しさはありません。 しかしこうした犯罪も、一般にはいじめ問題とされることが多いのでこれも一つの類型としておきます。

 第2の類型は「ドラえもん」に出てくるジャイアンのようないじめです。なんでも自分に従わせようとする強烈な個性によって行われ、被害者の代表はスネ夫です。
 スネ夫が常にジャイアンにくっついているように、両者には強い人間関係があり、ある時期まで被害者にも利益を与えます。ジャイアンのパワーが利用できるからです。しかしそれと引き換えに差し出すもの(たとえばパシリ行為)が苦痛になると、被害者によって「いじめ」と意識されるようになります。また、客観的には本人が意識するずっと以前から、それは「いじめ」です。

「いじめ=自殺」と呼ばれる事件のいくつかは、この第二の類型に始まって第一の類型に移行したものです。被害者の差し出すものが金で、その金の工面ができなくなったり、いくら渡しても展望が開けないと思い知ると切羽詰ります。学級から浮き上がった小グループの中で行われることが多いので、周囲に気づかれない場合も少なくありません。

 3番目に“嫉妬に起因する「いじめ」”があり、しばしば物隠しや物壊しとして始まります。
 陰でこそこそと行われるのは加害者(もしくは加害グループ)の方が全体の中で弱い立場にあるからです。もちろん時間の経過とともに勢力図が変わり、加害者の方が多数派になればもっと大っぴらなものになりますから要注意ですが、物隠しや物壊しは活動の内容がそれ以上に広がらないのが普通です。

 4つ目の類型は、通常の人間関係のトラブルさえも「いじめ」としか意識できない子が訴える「いじめ」です。「バカ」と言われた、無視された、仲間はずれにされた、「こっちに来るな」と言われた・・・いずれもよいことではありませんが、かつては自力で克服すべきものでした。事象の一つひとつを解決することを通して、人間関係スキルを高める―そのための課題だと考えられていたものです。
 別の意味で厄介ですが、起きている事象自体は大したことはありません。

 そして最後に、時にはクラス全体を巻き込み、執拗に繰り返される、私たちがうまく説明できないいじめが残ります。

(この稿、続きます)