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「忠臣蔵を語る」~学校では教えないが日本人として知っているべきこと

 こんなふうに毎日文章を書くようになって8年になりますが、毎年12月14日になると「忠臣蔵」のことを話したくなります。もちろん若いころ「赤穂浪士討ち入り事件」についてたくさん本を読んだということもありますが、それだけではありません。12月14日と聞くと反射的に忠臣蔵が思い浮かぶのです。ほとんどパブロフの犬です。それにはこういう事情があります。

 昔、三波春夫という歌手がいて(もはやこういう言い方もしなければならないほど過去の人になった、かな?)、この人の歌に『俵星玄蕃(たわらぼし げんば)』という、それこそ大スペクタクル歌謡みたいな曲がありました。忠臣蔵をあつかった歌なのですが、一曲の中に演歌―浪曲―講談と、日本の芸能がフルセットで入っているのです。その“講談”部分の最初が、
ときに元禄十五年十二月十四日 江戸の夜風をふるわせて 響くは山鹿流儀の陣太鼓(バン!バン!《扇子で釈台を叩く音》実は記憶違いで本当は入っていない)で、これが体の中に浸み込んで「12月14日」と聞くと忠臣蔵なのです。

 この曲にはもう一か所印象的な部分があってそれは、
 折しも一人の浪士が雪をけたてて サク、サク、サク、サク、サク、サク(後ろに行くほど早く大声に)「先生!」「おうッ、そば屋か〜!」
となるのですが、前後を忘れてしまっているのでなんでそば屋にそこまで感動しているのか、よく分かりません。分からないまま「そば屋か〜!」が頭にこびりついているのです。

 調べますと「俵星玄番」は浪曲や講談で有名な架空の人物で、赤穂浪士の一人、杉野十平次の槍の師匠ということになっています。杉野はそば屋に変装して吉良邸(芝居では高師直《こうのもろなお》邸)を偵察していたのですが、あるとき槍の名手俵星玄番に指南を受けることになります。しかし本当の身分を明かせません。その苦渋の表情を見て玄番はそれと見抜き、討ち入りの夜には吉良邸に駆けつけ加勢しようとする、といった話です。
仮名手本忠臣蔵」には出ていない人で、いわば「忠臣蔵外伝」みたいな形でいつしか浪曲や講談の世界に定着したようです。
 実際には大石蔵之助(芝居では大星由良助)の願いを入れて戦闘には加わらないのですが、資格がないので参加はできないが事件現場で浪士たちを見守るという、江戸時代の庶民の夢を体現したような存在です。だから人気があったのでしょう。

赤穂浪士討ち入り事件」はいわば集団テロルのようなもので、違法を承知で闇に乗じて殺害行為を成就させました。そんな非違行為に日本人はなぜこうも惹かれるのか。そこには様々な要素があり、忠臣蔵を語るというのは日本文化そのものを語ることなのです。

 唐突ですが小学校英語のきっかけとなった「これまでの審議のまとめ−第一次報告−」(平成20年5月26日 教育再生懇談会)には、「国際的に通用する人材や次代を担う科学技術人材の育成のためには、初等中等教育段階において、世界トップの学力と英会話力を身に付けさせることや、小学校における理科の指導体制など理数教育の充実が重要」という文章がありました。こうした英語力をつけた“人材”は英語を使って何を話すのでしょう。

 少なくとも人間関係をつくる場で、外国の人たちが日本人から聞きたいのはアーサー王伝説シェークスピアではありません。もちろん日本人がそれらをどう考えているかは話題になるかもしれませんが、知りたいのはあくまでも“日本人の考え方”、そして“日本そのもの”なのです。ネイティブ並みの英語の名手になっても語るべきは“日本”でなくてはなりません。

 私が子どものころは大河ドラマも子どもに身近なものでした(テレビ局が少なかったので)。水戸黄門も遠山の金さんも繰り返しテレビに流れていましたし、三波春夫もいました。ですから暴れん坊将軍徳川吉宗赤穂浪士に接点があったことも、私たちの世代だったら知る人も多いのです。しかし今やそうではありません。こうした人々や江戸の風物のことは、きちんと教えないと自然に入ってこないのです。

 英語も重要ですが日本の文化に精通し、それをきちんと言葉にできる子を育てたいものです。究極は狩野探幽尾形乾山東洲斎写楽八橋検校関孝和で小一時間も平気で語れる子どもたちです。