カイト・カフェ

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「育つ世界が違う」~彼我の教育の違い

 アメリカのコネチカット州で子ども20人を含む26人が殺されてしまいました。26人も死んだというのにけが人が一人きりなので、どこかに閉じ込められた状態で殺されたのかと思っていましたが一人に3〜11発も撃ち込まれていたとか。本当に陰惨な犯罪だったようです。

 ネット上でそのニュースを幾つかめぐっているうちに、下のような写真を見つけました。

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 事件にかかわる写真だと知らなければ思わず笑ってしまいそうな写真です。滑稽だったから笑うのでも、「アメリカはダメだな」といった嘲笑でもありません。彼我の教育状況をこれほど鮮やかに示した写真はそうはないからです。
 説明にはこうあります。
「事件が起きた米東部コネチカット州の小学校から、警察の誘導で避難する児童」
 たしかに引率者が教員だったらこうはならなかったのかもしれません。“先生”がやればもっとうまくやったかもしれない、そういう点はあるにしても、では日本の警察がこんなやり方をするかと考えるとやはり違うでしょう。日本の警察だったらやはり教師と同じように、整列させてから歩かせるでしょう。そもそもこうした現場で、教員が働いていないなんて考えられないことです。

 日本の場合、子どもがこんなふうに前の人につかまって歩くのは、保育園の運動会の、年少組の入場か小学校の“じゃんけん列車”(列の先頭の子ども同士でジャンケンをし、負けたチームが勝者チームの最後尾につながるゲーム)だけです。避難訓練でこんなことをすれば、将棋倒しの危険を招くだけです。しかしアメリカではそうはならない。写真の右端の子がそうであるように、肩を掴んだ列から離れると、どこへ行ってしまうか分からないのがアメリカの子どもたちです。この子は肩を掴まれるのだっていやなのです。

 繰り返しますが、だから「アメリカはダメだ」という話ではありません。アメリカは“ああ”で、日本は“こう”なのです。  

 アメリカの子どもが並んで歩くなんてめったにないことです(たぶん)。それに対して、日本の子どもは一年間に何百回も並ばされ歩かされています。小学生なんて教室移動のたびの整列・行進ですから、放っておいてもうまくなってしまいます。常に隣りに気を配り、意識するよう求められているのです。こんな国では他人を出し抜いたり、他の人がやらないことに邁進したりするような人間が、育つはずがありません。少なくとも非常に困難です。

 一方アメリカは自由と個人の国です。これほどの事件が繰り返されても銃規制すらできません。制約され集団に服従させられるくらいなら、他人が何人も死ぬくらい、大した問題ではありません。いざというときのことを考えても、並んで歩く練習なんてまっぴらです(それができるのは軍隊と刑務所だけ)。だから個性的で独創的な人間が生まれやすい。ただそれだけのことです。

 両方を同時に果たすなんて、できるはずのないことです。

*19日にこの記事の訂正があります。