カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「書けばよかったこと、書かなければよかったこと」

 いつも思うことですが、人間、怒ってはいけない、怒ると判断を誤ります。

 実は先週の木曜日、築地市場豊洲移転についてブログ記事を書き始め、途中でふと浮気してネットニュースを見たらそこに件の“調査書問題”のコラムがあったのでそれでカッと血が昇って「調査書の話をするぞ」と一気に書いてアップしたのです。
 豊洲の問題は来週でいいやと思ったのですが、土曜日あたりから雲行きが怪しくなり、何か「大山鳴動して鼠一匹」みたいな話になりそうです。つまり私が予想した通りなのです。

 24日のNHKニュースによると、
豊洲市場をめぐる問題で、専門家の提言に反して、建物の地下に盛り土が行われなかったのは、都の建築部門による「盛り土の上に建物を建てることは非現実的だ」とする認識が影響したと見られることがわかりました』NHKニュース『建築部門の「盛り土の上に建設 非現実的」認識影響か』9月24日 6時25分)

 ひとが言ったあとで「ボク、それ知ってた。そう思ってた」というのはまさに後出しジャンケンで卑怯者のやることです。卑怯者と思われるくらいなら何も言わない方が得なのですが、その話が日本中のどこからも出てこなかったことが実に不思議なのです(私の知らないところでは出てたのかもしれませんが)。
 1億2600万人もいる日本人の中で私一人がそれに思いつくなんてことは絶対にありませんし、たぶん多くの人がそう思っているはずなのになぜその観点からの話が出てこないのか、それが謎です。

 これまであまり言ってきませんでしたが、私の家は公務員一家で父と弟が市役所職員(母は元市役所職員)、私と妻と娘が教員です。ほぼ全員が公務員かそれに近い職業で、民間企業の人間が周辺にまったくいないのです。そういった公務員感覚ムンムンの家で育つと、よくも悪しくも公務員根性というのはよく見えてきます。
 要するに冒険しません。少しでも山っ気のある人はこの世界に不向きです(というか普通は入ってきません)。根性なしですから汚職と言っても規模が小さい。もちろん例外はありますが基本的に億単位の金を自分の懐に入れられる公務員は政治家だけです。
 豊洲にしても、盛土をしないことで浮いた数百億円を自分のものにしようといった気骨のある悪人は、まずこの世界からは出てきません。みんな小役人なのです。
 仕事ぶりは誠実で丁寧です。失敗がないようにビクビク暮らしています。ですから上で決まったことを個人の裁量で覆すなんて思いつきもしません。

 豊洲の問題でも、関わった都職員は皆それなりに誠実な仕事をしたのです。しかしどこかにとんでもないポカがあった。Aが誠実な仕事をしてBも誠実で、Cも含めらた全員がきちんとやったのに、高い場所から俯瞰したらとんでもない不誠実なことになっていた、それが真相ではないかと思ったのです。

 さて、私は思うのですが、どこの建設現場に行ったって、ある程度大きな建物を建てるときには必ず建物分の穴を掘ってそこに土台を造ったり配管したりしますよね。地下の階がなくても1mや2mは必ず掘っている。
 そうなると豊洲の場合も、建物部分は必ず掘るわけじゃないですか。つまり当初の計画通りに進めると2mの汚染土を掘ってきれいにして埋め戻し、その上に別の土地から持ってきた2.5mの土を乗せ、しっかりと落ち着かせてからまた穴を掘って建物を建てる――そんあバカなこと、普通はしないだろうと思うのです。
 先ほど言ったように杓子定規にいったん全部盛土をして、それからまた掘ってもいいのですがそれこそお役所仕事、融通が利かない税金泥棒と言われかねない話です。掘って埋めて埋めてまた掘るわけですから。
 たしかに通常2mもあればいい地下空間が4.5mにもなったことには違和感があるかもしれません。しかし埋めたところを掘りなおすよりはるかに合理的ですし、建物下だけは盛土を2.5mとかするのは手間も経費もかかってかなわないじゃないですか。普通はそう考えるでしょ。
「いや、いや、いや。有識者会議の結論に従って全敷地に4.5mの盛土をし、その上に2mほどの高床式の建物を建てればいいじゃないか」と言う人もいるかもしれませんが、そうなると建物以外のところはさらに2mほど上げないとどの建物も道路から直接入ることができなくなってしまう、建物が伸びたぶんパイル(地中杭)も長いものを使わなくてはいけない(盛り土に杭を打っても弱い)、さらに工事費も伸してしまう――。

「普通、そんなことはありえないでしょう。建物の地下は空洞で当然。考えるまでもない」
と建物屋さんは思ったのです。 
ところが土壌屋さんの方は、
「完全な汚染排除のためには合計4.5mの盛土が当たり前」
と考えていた。
 両者は話し合うチャンスがないまま、お互いの常識で動いてしまった。
 それが私の想像です。トボケた話ですが悪意のある話ではありません。
 問題は情報の共有が不十分だったこと、どんなに不合理でも盛り土はしなければならないという社会的コンセンサスに配慮が行き届かなかったこと、そのあたりでしょう。
 もし違っていればいけませんが、以上が「金曜日、やはり書いておけばよかったこと」です。

 一方、書かなければよかったこと、それは高畑裕太問題です。
 示談がすんだあと、週刊誌やテレビに「逮捕されるような事実はなかった(かもしれない)」といった話が続々出てきました。しかしそれは跡出しジャンケンの私以上に卑怯な話です。

 高畑裕太君の芸能界追放はほぼ決まりです。事実がないなら裁判で戦えばよかっただけのことです――。
 そう私は思うのですが、この話、元は単純なのに今頃複雑にしようとしている人がいるのか、そもそも難しかった話が実に単純化されて報道されたことなのか、よくわからなくなりました。
 したがって「そもそも話題にしなけりゃよかった」と後悔している次第です。