カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「昭和の風景」④

 高度経済成長は私が生まれた翌年に始まり、高校を卒業して間もなく終了しました。前にも言った通り、ですから私はまさに“高度経済成長の子”です。他の人たちとは違う景色を見て育ってきたのです。
 とにかく父のボーナスが出るたびに生活のガラッと変わる。全く違った世界が訪れる。去年より今年の方が豊かになったから来年はもっと豊かになるだろう、そう信じてその通りになる時代です。逆に言えば高度経済成長期以前の生活は、ほとんど明治時代と同じだったのです。

 私の生まれ育った家が二軒で一棟の市営住宅だったことはお話ししました。6畳間と4畳半が一つずつ、あとは台所とトイレだけの建物です。その住宅の台所には最初は水道もガスも何もありませんでした。
 水はどうしたかというと屋外に二軒共用の水道が一本だけあって、そこから毎日運んだのです。地面から1mほどの高さにある立水栓で、蛇口はあるのにひねるためのハンドルがない、という不思議な代物です。今でも安全のために屋外灯油タンクのバルブのハンドルを外しているお宅がありますが、あれと同じで両家がそれぞれ所有しているハンドルをもって行っていちいち水を出すのです。ご丁寧に、ハンドルの接続部分は三角柱になっていて、ペンチでは簡単に回せないようになっていました。水を盗む人がいると考えられた時代なのです。

 その水道からバケツで水を汲んできて、台所の流し(シンク)脇にある大きな水がめにためておきます。母は炊事のすべてをその水で行いました。例えば食器を洗うとき、左手で柄杓を持って水をかけ右手で皿をなぜるようにして洗ったのです。丁寧なことはできません。けれど油料理などほとんどなかった時代ですから、それで困ることもありません。

 いや、話を炊事の最初から始めましょう。
 朝、母は起きるとまずかまどに火を入れます。火を入れるというのは薪に火をつけることです。
 今でもキャンプの飯盒炊爨などで体験する人は多いのですが、薪に火をつけるというのはそう簡単なことではありません。私の家ではまず新聞紙にマッチで火をつけ、その新聞紙の上に使い古しの割り箸を何本も乗せて種火とします。当時は料理屋さんが店で使ったあとの割り箸を乾かして売っていたのです。それを買ってきて火をつける。それから細めの薪、太目の薪と次第に火を大きくしていくのです。
 ご飯は五右衛門風呂みたいな形のお釜で炊きます。朝いちばん最初にやるのが、このご飯を炊くということなのです。
「はじめチョロチョロ、中パッパ、プチプチいったら火を落とし、赤子泣くとも蓋とるな」
という言葉があるように、はじめはゆっくりと温め途中からガンガン薪をくべる。お釜の中の水がなくなってプチプチ言い始めたら火を落とす、つまり薪を取ってしまい、あとは赤ちゃんが腹を空かせて泣くようなことがあっても絶対に蓋を取らない、つまりしっかり蒸しましょう、ということです。

 かまどから外した火のついた薪はどうするかというと、いったん炭壺と呼ばれる壺に入れて火を消し、それからよく火の入っている部分を取り出して七輪に入れます。
 主な煮炊きはこの七輪の上で行うのです。

(この稿、続く)