カイト・カフェ

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「身体の軽視」~欧米人の身体観をマネしてはいけない

 女優の広末涼子さんが今度再婚する(再婚した?)キャンドル・ジュンという人に興味があります。耳に動物の角をさしたり全身の入れ墨といったものが、以前見た映画「蛇にピアス」に出てくる「シバさん」という主人公にそっくりだったからです。もしかしたら「シバさん」のモデルかもしれません。

蛇にピアス」は金原ひとみという作家が21歳で芥川賞を取った小説が原作で、映画は蜷川幸雄が監督という一級のものなのですが、何しろ道具立てが派手すぎて(全身のタトゥー、顔中のピアス等)、訳の分からないうちに見終わってしまった感じでした。中でもスプリットタンといって、舌の先を蛇のように分けてしまう身体改造は理解できるものではありません。

 日本で入れ墨を入れる素人はいません。素人がやっているのはタトゥーです。そしてそのタトゥーもピアスもスピリットタンも米国由来で、日本にこのような風習はないのです。

「身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始め也(身体は髪や膚に至るまですべて父母より与えられたものである。これを傷つけないのは孝行の最初の一歩である)」論語)というように、日本の習慣は身体に傷を入れないことを前提としています。それに対して欧米は身体に対して非常に冷淡なところがあり、アンジョリーナ・ジョリーのような有名女優もベッカムのようなスポーツ選手も、平気で大量のタトゥーやピアスを身体に入れます。

 肉体への無関心と言えば人間の遺体にも無頓着で、たとえば航空機事故があったりするとどんなことがあっても事故現場へ行こうとするのは日本人と、私の知る限りでは韓国人だけです(もしかしたら同じ儒教の歴史をもつ中国人もそうかもしれませんが、テレビ等で見たことがありません)。欧米人は黙って遺体が届くのを待ちますし、戻ってこなくてもいいみたいです。

 さらにもう一つ、アメリカ人の食生活のいい加減さというのも何か妙に徹底した感じがします。「ネバー・エンディング・ストーリー」という映画の冒頭で主人公の少年は朝からシリアル食品ですし、「プラダを着た悪魔」でも確か主人公がハンバーガーを加えながら出勤する場面があったように思います。

 私は、欧米から決して輸入してはいけないもののひとつは、こうした身体に対する無頓着、身体軽視の見方・考え方・生活習慣だと信じています。

 不登校対策で一応の成果のあった戸塚ヨットスクールは、厳しい訓練によって精神力が鍛えられ、それが困難克服のカギとなったと解釈されました。しかし正直言って、私はスポーツで鍛えられた精神がそのまま生活に役に立つとは思いません。そうではなく、スポーツをやることによって活性化した動物としての人間の身体が、後ろ向きの思考や歪んだ認知、じっと家に引きこもってことを許さないのではないかと思うのです。

 よく食べ、よく眠り、よく働く。そうした身体に対する働きかけは、幾千回のカウンセリングを凌駕するのではないかと、そんなふうに思うことがあります。心の問題をあつかうとき、心に働きかけると同時に、いやそれ以上に身体に向けて、何らかの働きかけをしなければならないと考えるのは、そういうわけです。