すんなり入ってくるものとそうでないものがある。
後者についていえば、その多くは私たちと本質的な部分で軋みを起こすからだ。
例えば私たちが知らぬうちに手に入れていた死生観、肉体観、生命観と。
という話。
(「ラ・セウ・ドゥルジェルのサン・ペレ聖堂後陣礼拝堂の十二使徒」)
【タトゥー=肉体をカンバスとする絵画】
肉体を「魂を乗せる船」、単なる「借り物」とする欧米人の肉体に対する無関心、蔑視はさまざまな形で証明できます。その一つはタトゥーです。
タトゥーは古代においてほとんどの民族に共通する文化ですからそれ自体に善悪はありません。しかし現代において、タトゥーをするかどうかのハードルが欧米人にとって極めて低いことは今回のオリンピック・パラリンピックを見ても明らかです。実に多くのアスリートがつけている。
芸能人たちも、役柄によっては王侯貴族や古代人も演じなければならないのだから入れないのが一番なのに、大量のタトゥーを入れ、そのためにCGスタッフは画面からいちいち消してやらなくてはなりません。
日本びいきの歌手のアリアナ・グランデは「セブン・リングス(七つの指輪)」の発売に合わせて左の手のひらに「七輪」と横書きで入れ、恥をかいたりしています(のちに「七」の下に「指」、「輪」の下にハートマークを足して二列で「七指輪♡」と読めるように変更した)。
さらに進むとタトゥーばかりでなく、舌先を二つに割るスプリットタンやボディーピアス、あるいは角(つの)ピアスといった大型の装飾品など、人体装飾あるいは人体改造への情熱はなかなか理解しがたいところです。
そんなことをしたら社会からつま弾きされるとか子どもと一緒にプールや温泉に入れないとかいった社会的制約だけでなく、人体をキャンバス粘土のように扱うことには日本人には容易に越えられない心理的な壁があるのです。
【肉体の永久保存とロマネスク絵画】
遺体を衛生的に処理して長期保存させるやり方(エンバーミング)は、病院で行ういわゆるエンジェル・メイクのレベルなら受け入れられますが、レーニンやスターリンが施された永久保存というレベルではなかなか受け入れがたいものです。
これが指導者の神格化のためだけでないことは、マリリン・モンローやマイケル・ジャクソンがそうした処置を施されていることでも分かりますし、欧米人だけでないことは中国の毛沢東や蒋介石、北朝鮮の金日成・正日親子、そして歌手のテレサ・テンにも施されたことで理解できます。遺体の永久保存については、日本人だけが忌避的なのです。
また、欧米人がいかに肉体に対して冷淡であったかは、ロマネスクと呼ばれる11世紀前後の西洋美術を見てみても分かります。
今日の扉に掲げた「ラ・セウ・ドゥルジェル、サン・ペレの後陣礼拝堂の十二使徒」は、これだけ見ているとまだ技法が十分に育っていない時代の精いっぱいの表現のように思えますが、ギリシャで「ミロのビーナス」(B.C230頃)や「円盤投げ」(B.C450頃)が制作されて1500年もあとの絵画であることを考えると、中世以降、人間の肉体を貧弱に描くことがいかに重要だったかがわかります。
「肉体は魂を乗せる船、借り物」なのです。美しく、あるいは肉感的に描いてはいけないのです。
【日本人の死生観・肉体観】
翻って日本人の死生観、肉体観はどうだったかというと、これも厄介な問題です。日本には国民をひとつにまとめるような単一の宗教がありませんから、教義を読んで考えるということができません。したがって「どうやら日本人は、みんなこんなふうに考えているらしい」というこことを探っていくしかないのです。
そしてその前提に立って、「どうやら日本人は、生きている肉体に細工を施すことを嫌う文化を持っていたらしい」ということは言えそうです。
(この稿、続く)