昔、東南アジアのある国を旅行した際、ホテルの近くのコンビニに出かけて買い物をした帰り道で、現地の人にあいさつをされたことがあります。
「おはようございます」
それがあまりにも流暢な日本語だったので思わず、
「おはようございます」
と返すとがっかりした様子で、
「なんだ、やっぱり日本人かァ」
(オマエ、一体オレを何だと思って、何をしたかったワケ? 日本人だとなんでガックリするんだ?)
別の時、私は国内旅行をまるまる全部、中国人のフリをしてやってみようという計画を立ててそれらしい上着を購入したことがあります。ところがこれがさっぱり似合わない。それらしくない。
どうみても“シンガポールの華僑のフリをした東南アジア人”という感じで、偽物臭プンプンなのです。
もしかしたら私の祖先には東南アジア系の血が濃く入っていて、中国系は薄いのかもしれません。
【意味ある血】
例えば60世代(1800年)を遡っても外国人の血は一滴も入っていないという人はそうはいないでしょう。ですから日本人のほとんどは純粋種ではありません。それにそこまで行くと“純粋種”という概念すら意味がなくなってしまいます。
ではずっと手前の話として――両親のいずれかが外国人の場合はハーフ、これはいいでしょう。祖父母のうちのひとりが外国人の場合はクウォーター、これも日常の用法としたら(たぶん)問題ないと思います。
曾祖父母のうちのひとり、高祖父母のうちのひとりが外国人という場合は、なんというのでしょう。
英語で1/8はワンエイス(one eighth)1/16はワンシクスティーンス(one sixteenth)と言うのだということは調べて分かりましたが、それで「1/8混血(ミックス)」「1/16混血(ミックス)」も表せるのでしょうか。
たぶんそうはならないでしょうね。欧米で例えば「16人の高祖父母のうち一人だけがフランス人であとは全員がイングランド人」といったことはほとんどなさそうですし、仮にあっても主張することに意味があるとは思えないからです。
その理屈を援用するとハーフやクウォーターあたりまでは意味はあるが、それ以上になるとあえて主張することにあまり意味はない、だから私も中国人のは混じっていなさそうだとがっかりすることもなければ、東南アジア人の血統に関りがあるかもしれないと誇ることも、どちらもないというところに落ち着きそうです。
遺伝子レベルの話としても、1/8や1/16程度の形質ではたいして役にも立たないのでしょう。やはりハーフかせめてクウォーターでないと、優れたものも意味をなさないのかもしれません。
*「ハーフ」や「クウォーター」「ダブル」「混血(ミックス)」「純血」と言った言葉をここでは無頓着に使いますが、これらのうちどれが差別語でどれが許されるのかといった話はかなり厄介ですので、特に意識せず、先に進ませていただきます。
【幻のアスリートはどこに行ったのか】
芸能界ではかなり以前からハーフやクウォーターの子が活躍し注目されています。
私たちはもう彼らが混血(ミックス)であるというだけで差別することも羨むことも特別視することもありません。それぞれ芸能人として美しかったり達者だったりすればいいだけのことです。
ところがそれ以外の場となると、あまりにも活躍の様子が見えない。当然いていいはずの場所にいない。
それを改めて思い知らされたのは、先日の日本陸上競技選手権の男子100mの決勝です。そこで入賞した上位3名のうち、二人までもが混血の選手だった(サニブラウン・アブデル・ハキームとケンブリッジ・飛鳥)のです。しかしなぜこれまでこうならなかったのでしょう?
芸能界にあれほど多くの混血(ミックス)がいるのスポーツ界にはあまりにもいない。戦争直後のアメリカ軍駐留時代にまで遡って70年くらいを考えても、思い浮かぶアスリートといえば野球の鉄人衣笠とハンマー投げの室伏くらいなものです(ほかにもいると思うけど、あまりにも少ない)。
半分だけだとしてもアフリカや中南米の強靭なバネ、あるいはオランダや北欧の高身長を兼ね備えた超人の卵は、いくらでもいたはずです。
サニブラウンやケンブリッジが64年東京オリンピックころから活躍していたら、日本のメダル数は(1.5倍とは言いませんが)1.2倍くらいにはなっていたでしょう。
小学校の運動会や中学校のクラスマッチで、とんでもなく足が速くやたら目立った肌の浅黒い少年少女はいなかったのか、バスケやバレーで異常に背の高い、肌が白く目の色の薄いすばらしい選手はいなかったのか。
いたとして、彼らはなぜ全国大会のひのき舞台で活躍することができなかったのか? 差別があったのか? それともサニブラウンやケンブリッジの例が稀なのであって、バネだのスピードだのにハーフだのクウォーターだのはあまり関係のないのか?
ぜひ調べてみたいことです。