カイト・カフェ

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「親孝行考」~体を毀損することについて

 伊達政宗というのは相当な奇人であって、秀吉に疑惑を持たれた際には白の死装束に金箔を塗った磔柱(十字架)を背負った姿で出頭したとか、健康にいいからといって冬は炬燵の一方を必ず開けさせたとかいった面白い逸話をたくさんもっています。料理に長け、能や和歌にも造詣が深かったようです。朝鮮出兵の際は家臣の鎧兜をすべて自分でデザインし、行軍の際には鉄砲隊に着火した火縄をくるくると回しながら歩かせた、という話もあります。こうしたところから、粋で気障な男を“伊達者”と言ったりもします(正宗の兜のひとつは、やがてデザインを多少変えてダースベーダーがかぶりました)。

 “独眼龍”と称されるように隻眼だったことも有名ですが、彼の死後つくられた彫像や肖像画にはすべて両眼が入っています。乱世にあって戦のために障害となる人はいくらでもいたのに、何を恥じたのか。正宗はこんなふうに言ったといわれています。
「たとえ病気のためとはいえ、片目を失ったのは不孝である」

 中国の古書に「身体髪膚之(これ)を父母に受く、敢えて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」という言葉があるそうです。意味は「身体は髪や皮膚に至るまで、すべて父母からいただいたものである。不用意に傷つけてはいけない」ということです。

 修身の教科書にあったそうで、戦前の人はみな知っています。正宗の気持ちの中にあったのも同じ思想でしょう。またヤクザが身体に入れ墨を入れるとき必ず頭に浮かぶのもこれで、入れ墨は家族への決別を意味しているのです。

 しかしこの「父母からいただいた身体」という感覚、今の子どもたちになじむものでしょうか。少なくとも子どもだったころの私には(もしかしたら今も)ピンと来ないものです。

 少なくとも生まれてきてよかった、生きていることがありがたい、ということが前提でないと、この感覚は出てきません。また「親に感謝」というのは理屈の問題ではないでしょう。
 私の母などは「(子どものころは)とにかく早く学校を出たかった、早く就職してお金を稼ぎ、親に楽をさせたかった」などと言いますが、おそらく嘘も虚飾もなく、まったくその通りだったのでしょう。そんなにすばらしい親だったわけでもありませんが。

 私たちはいつから親孝行という感覚を失ってしまったのか、そしてそれは二度と復活しないものなのか、いやそもそも本当になくなってしまっているのか、改めて考えてみたいことだと思いました。