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「フィクションはフィクションだから面白い」~「光る君へ」に見る脚本家の力量②

 年間50話にも及ぶ大河ドラマ
 それを維持するには大胆な発想の転換が必要だ。
 学者たちが何を言おうが、実際に見てきた人はいないのだ。
 だったら一番面白い解釈を拾おう。
という話。(写真:フォトAC)

【誰も真実を知らない】

 大河ドラマを任された脚本家はきっとこんなふうに考えます。
 これはたいへんだ。年間50回、1回の放送時間は45分(うちドラマ部分は40分)、全部合わせれば33時間に及ぶまさに大河ドラマ。生半可なことではすぐに持たなくなる。紫式部の物語だって? 資料はほとんどないじゃない。だからと言って好き勝手をやったらファンが許さない。
 
 で、考えてみたらこれまでの大河ドラマの脚本家たちも、源義経織田信長に直接取材した人はひとりもなく、1年間に書いた山ほどのセリフの、たった一行でさえも現場で聞いたものではない。録音されたものでもない。純粋に作家の頭の中から生み出されたものだ。だったら創作するに遠慮などいらないだろう――。

【フィクションはフィクションだから面白い】

 そもそも自衛隊を戦車ごと戦国時代に送り込んだり(「戦国自衛隊」)、金平糖を食べながらホテルのエレベータを降りるとそのたびに1582年の本能寺に行ってしまったりする(「本能寺ホテル」)のがフィクションだ。それに比べたら人口10万人の平安京の、3千人しかいない貴族社会で、摂政の子とは言え四男坊でしかない気ままな息子と下級貴族の娘が出会って恋に落ちるなど、いかにもありそうなことではないか。同じ閉ざされた貴族社会の中で、才女の評判の高い清少納言紫式部が、互いに意識することなく知り合うこともなく、ただすれ違って終わるなど、あっていいものか。まったく会わないとしたらその方が奇跡だ。
 そう考えていくと「源氏物語」の桐壺帝と桐壺更衣のモデルが一条天皇中宮定子という高校生じみた発想も、あながちバカにできるものではない。だってその方がよほど面白いじゃないか。
 
 残された問題は中宮定子が亡くなったのが西暦1000年、「源氏物語」が書かれ始めたのが翌1001年ごろとなると、このとき定子の忘れ形見(敦康親王)はわずか2歳。その子が預けられた中宮彰子も12歳~13歳で、光源氏と(桐壺帝の後添えである)藤壺の難しい恋愛関係を想起させるのは、やはり無理があることだ。せめて敦康親王に物心がつき、中宮彰子が18~20歳くらいだったら都合がいいのに――。
 そう考えて行った先で閃いたのが、
「1001年ごろから書いていて一部の女性たちの間で評判になっていたのは『源氏物語』ではなく別の話。『源氏物語』は1006年ごろ、藤原道長に依頼されて最初から一条天皇を引き寄せる目的で書かれた。だから最初の配役が一条天皇の周辺そっくりになる」
というアイデア

大石静のリアリティ】

 ドラマの中ではまひろが書いた「かささぎ語り」という架空の物語が評判となって藤原公任藤原道長の興味を引き、しかしそれを娘の賢子(かたこ)が母の気を引こうとして燃やしてしまう、という形で時間を稼ぎます。
 「源氏物語」はまひろの評判を聞いた道長が訪い、直に依頼したところから構想された。最初から一条天皇中宮彰子のもとに引き寄せる目的で書かれたために、主人公の周辺の状況は現実の一条帝の周辺と非常に似てくる。
 とはいえ下級貴族の娘のまひろには宮中の奥深くの様子は分からない。そこで道長にこと細かに教えてもらうのだが、だから帝とその周辺という得難い情報は、相当な確度でまひろの元にもたらされたのだ。道長はまた大量の紙も用意し、最初の原稿が渡されて以降は、生活の安定のために相応の待遇で宮中に招き入れ、女房として働かせる。
――そんなふうに組み替えてみると、「源氏物語」は本当に紫式部の処女作なのだろうかとか、どんな目算があって書き始めたのかとか、紙はどうしたのかとか、宮中の様子や行事の詳細・衣服の細々とした点などをどのようにして知ったのかとかは、すべてすんなり収まってしまいます。

 さらに宮中に出仕して女房として中宮彰子を間近にするようになると、「源氏物語」に新たな役割が与えられます。それはまひろの元をわざわざ訪ねた中宮彰子によって語られた次の言葉がヒントになります。
「そなたの物語だが、面白さが分からぬ」
 もともとが一条天皇を引き寄せるための道具だった「源氏物語」が中宮彰子の中に何かを生み出そうとした瞬間です。
 (この稿、続く)