カイト・カフェ

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「何のための年賀状かを考えて、結局こうなりました」~2024年の年賀状をどうデザインしようか③

 結局、私は自分のことを見ていてもらいたい、
 大事な誰かに思い出してもらいたい、
 だから書く年賀状、
 結局、自分の好きなように書くしかない。 
という話。(写真:フォトAC)

【何のための年賀状か】

 3年ぶりに本来の形の年賀状を書こうあれこれ算段しているうちに、ふと立ち止まって、考えこんでしまいました。ある疑問が浮かんだからです。それは、
「何のために年賀状を書くのか」
という、極めて本質的な疑問です。毎年12月になると落ち着かなくなり、月の半ばから喪中はがきなど整理して送る相手を確定し文案を練る――まったく考えなしに惰性でやってきたことですから、いったん立ち止まると動けなくなります。ほんとうは年賀状など、必要ないのかもしれません。
 ただ、それにしても私はこの仕事が嫌いじゃないし、むしろウキウキとやっているところをみると、どうやら私自身にとっては意味ある風習ということになるのではないか、そんなふう思えてきます。

 智恵が出ないので「年賀状を出す意味」とか「年賀状を書く理由」とかを検索窓に投げ入れてみます。すると、
「年賀状には年始の挨拶に行けない相手に、新年のお祝いや日頃の感謝の気持ちを伝える意味が込められています」(しまうまプリント)
とか、
「日頃お世話になっている方々に感謝の気持ちを込めて、新年をお祝いする言葉を用い昨年の感謝と新しい時も変わらないお付き合いを依願する挨拶状を贈ります」(cardbox.biz)
と言った話が出てきます。
 また考え込まざるを得ません。なぜなら隠居この方、特にコロナ以降は、これといってお世話になった人がいないのです。いや、もちろん近くのコンビニには再三お世話になっていますし、今の季節とつぜん灯油がないことに気づいてガソリン・スタンドに泣きついたり、母のことではケア・マネージャになんども迷惑をかけています。しかしだからといって年賀状というのも変ですよね。
 そこでもう一度検索をかけて調べると、こういう文も出てくるのです。
「年に1度年賀状のやり取りをしているだけだから・・・と、ご無沙汰している方への年賀状をやめてしまう人もいると思います。しかし、そんな相手だからこそ、年賀状を出す意味があるのです。年賀状を用いて、ご無沙汰にしている方にも、自然に近況を伝え、付き合いを続けていくことができるのです」(筆ぐるめ)
 これです。

 私は何人かの古い知り合いに覚えておいて欲しいのです。私の方が覚えていて、年に最低一度は思い浮かべて「今ごろ何をしているのかな」と気にするように、相手にも私のことを思い出して気にしてほしいのです。だから相手は誰でもいいわけではないし、私はその人のことを知りたい――。
 そこで思いを新たにするのです。
「大切なのは私がその人を慕っていて、その人に思い出してもらいたいと願っていることだ。相手がどう考えるかはとりあえず大事じゃない。大切なのは、私もその人のことを忘れていないということだ」
 そしてこんな年賀状になりました。

【2024年、私の年賀状】


 中に「24年を前向きに生きる年にしよう」とあるように、来年度の年賀状には初めて、携帯番号とLINEのQRコードを入れました。連絡をしてくれる奇特な人がいれば、改めて積極的にかかわって行こうという決意です。

【残りの年賀状】

 あとは親戚や、子どもたちがお世話になった人たちへ向けての、「2023年の家族の様子」を紹介した別の年賀状をつくるだけです。こちらの方は簡単です。

 かつてはさらに子供向けの年賀状もつくっていて、それは次のようなものでした。

 2002年のものですが、その年の干支である午(ウマ)に関するウンチクがびっしりと書いてあります。本当は辰年のものを見本にお見せすればいいのですが、探してもないのです。
 この前の辰年は2012年。前年の2011年は父の死んだ年で、そのため2012年の年賀状はないのです。さらにその12年前の2000年は――。
 そこまで遡ると年賀状はWordではなく、プリントゴッコかなにかで作っていたのかもしれません。あると思ったものが「ない」ことが歴史なのです。