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「独立宣言と子どもの成長」~今日はアメリカ独立記念日です

 今日はアメリカ独立記念日。248年前の7月4日、
 若きアメリカは基本的人権の尊重と民主主義を掲げて船出した。
 出発にあたって彼らは、自由も平等も幸福追求も自明だと言った。
 二の四の言わず、歩き始めようと言ったのだ、
 という話。
(ジョン・トランブル作「アメリカ独立宣言」)

【試験対策は冒頭のみ】

 今日、7月4日はアメリカ独立宣言の発表された日です(1776年)。
 昨日は「枕草子」を始めとして大学受験の際に必死に覚えた古典の冒頭文を書き連ねましたが、「アメリカ独立宣言」や「フランス人権宣言」も同じように大学入試や教員採用試験の対策として、冒頭だけを一生懸命、暗唱したものです。どれもこれも冒頭だらけです。
 ただし「アメリカ独立宣言」に限って言えば、この文章は三つの部分から構成されていて、冒頭が「人権と民主主義、政府あるいは独立等に関する理念」、二番目が「独立宣言に至った経緯(イギリス国王の悪行とイギリス国民の無理解)」、最後に「だから本国と絶縁して独立するという宣言」ですから、大切なのは冒頭の分だけ。あとは独立後すべて解消していますから研究者でもない限り読んで覚える必要もないのです。特に外国人である私たちにとっては――。

アメリカ独立宣言】

 では覚える価値のある冒頭部分(正確に言えば最初の第二文以降)はどうなっているのかというと、それは次のようなものです。
「われわれは以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は神によって平等に造られて、一定の譲り渡すことのできない権利をあたえられており、その権利のなかには生命、自由、幸福の追求が含まれること、これらの権利を確保するために人びとの間に政府を作り、その政府には被統治者の合意の下で正当な権力が授けられること、そしていかなる政府といえどもその目的を踏みにじるとき、人民は政府を改廃して新たな政府を設立し、人民の安全と幸福を実現するのにもっともふさわしい原理にもとづいて政府の依って立つ基盤を作り直し、またもっともふさわしい形に権力のありかを作り変える権利がある」

 これが日本の大学の入試や教員採用試験に出題されるのは、日本国内のすべての法令が準拠しなくてはならない日本国憲法の理念がここにあり、世界に通用する民主主義の基本的な考え方が明確に示されているからです。アメリカ独立宣言とその13年後に発表される「フランス人権宣言」、このふたつで民主主義の理念は言い尽くされていると言っても過言ではありません。
 だから大切な文章なのだというのはもちろんですが、それと同時に、この文章には概念を操作する上での重要な示唆が含まれているのです。それは「私たちに基本的人権や民主主義があることは、証明する必要も議論する必要もない(=自明だ)」と言い切っている点です。

定言命法の話】

 条件をつけずに「かくある」「かくあれ」という言い方を定言命法というのだそうです。「嘘をつくな」とか「人を殺してはいけない」とか「人間は自由だ、平等だ」といった言い方です。
 それと違って「ひとから信用されたかったら嘘をつくな」とか「死刑になりたくなかったら人を殺すな」「人に迷惑をかけない限り人間は自由で平等だ」といった条件付きの表現は仮言命法と言い、この場合、前提が満たされないと結果も違ってきます。例文に従って考えると、ひとから信用されたいと思わなければ嘘をついていいことになりますし、いわゆる拡大自殺(死にたいが自分から自殺はできないので、人を殺して死刑にしてもらう)は、「死刑になりたくなかったら人を殺すな」を逆手に取ったようなものです。
 
 人は自由だとか平等だとかいったことも、実際に証明しようとすると厄介です。そこで独立宣言は「われわれは以下の事実を自明のことと信じる」と言い切ってしまうのです。
 反論は許しません。人間は本当に平等か、《一定の譲り渡すことのできない権利(基本的人権)》を与えられているというのは事実か、といった点を議論し始めると、一歩も前に進めなくなってしまうからです。誰もが何かを言いたい状況ですが現実は一瞬も止まってくれませんから、自明と言い切ってとにかく歩き始めるわけです。
 これは人間の知恵です。納得とか合意とかを経ずしてとりあえず進まなくてはならない、そういう場合もあるのです。

【「困るのが自分一人ならどうでもいいや」が子ども。ならば・・・】

 そんなふうに定言命法的に言わなければならない場合が、特に子育てと教育に関しては山ほどあります。
「大人になって後悔したくなかったら勉強しなさい」は、裏を返せば「後悔してもいいなら勉強はしなくてもいい」という話です。実際に《遠い将来の未知の後悔》よりも《今日の遊びを我慢する苦しみ》の方が大きいという子はいくらでもいます。まだ大人になった経験がありませんから想像もできないのです。
「むし歯になりたくなかったら歯磨きなさい」も、むし歯の痛みや切なさはなってみなくては分からないことですから、どこまで説得力のある言い方なのか分かりません。
 経験的に言えば「結局、自分が困ることだからしっかりやりなさい」といった言い方は、すべて「困るのが自分一人ならどうでもいいや」に繋がってしまいます。
 
 大人や仲間を信じ、とりあえずその人の言う通りにやってみようとする態度を「素直」と言います。素直な子どもは葛藤を抱えていない分、取り掛かりが早く、迷いがない分、達成も早いのが普通です。もちろん信じたことが間違っている場合もありますが、たいていは疑って何もしないことよりも、信じて行った方が上手く行くものです。大人はいつでも相談に乗ってくれますし見守ってくれますし、責任も(半分くらいは)取ってくれるからです。
 もちろん子どもが素直でいられるためには相手に対する基本的信頼感がなければなりませんから、結局は私たちがどう信頼を紡ぐかという話なのですが。