カイト・カフェ

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「この親子関係、なくてもあまり困らない」~冬休み中に思ったこと感じたこと④

 初めての“子どもが帰省しない正月” 
 そこではっきりと気がついた。
 もうあの子たちに私は必要ない、
 ずっと前からそうだった――と。
という話。(写真:フォトAC)

【子の不在】 

 今年の年越しは95歳の母と私たち夫婦の3人だけでした。1年前、2022年の正月は長女シーナの家族4人と、まだ独身だった長男のアキュラもいたので、総勢8人の賑やかなものでした。ところが今年、シーナは家族とともに夫の実家に行き、結婚したばかりのアキュラも夫婦水入らずで過ごしたいとかで帰省しなかったので、そんな寂しい正月になったのです。シーナの方はだいぶ前から一年おきと決まっていたのでどうということはないのですが、アキュラのいない正月はアキュラが生まれてから初めてのことで、少し心が動きました。実際にこの場にいないということより、もっと象徴的な意味での「子の不在」を感じたからです。

【我が家族の生涯はわずか16年】

 35年前、妻と結婚して初めて自前の家族を持つことになりました。その2年後、長女が生まれて3人家族になり、さらに3年後、今度は長男が生まれて4人家族になりました。これが私のつくった家族です。
 
 そこから16年ののち、長女が進学して私の家は3人家族に減ります。我が四人家族の終焉です。結婚してから35年になりますが、4人家族として暮らした日々はそのうちの半分にも満たなかったわけです。さらに2年後、こんどは長男が家を出て一緒に住む家族は2人に戻ってしまいました。

 それでも家族は家族。特にシーナは大学に進学してもよく帰省し、よく連絡もくれました。アキュラは男の子らしくぶっきら棒で愛想もよくありませんでしたが、それでも必要な時には連絡を寄こし、引っ越しなど私たちに助けを求めることも少なくありませんでした。その意味では二人ともまだ「私たちの子ども」だったわけです。
 
 シーナは大学を卒業して2年後、現代の大卒女子としてはかなり早い結婚をし、さらに2年後と6年後に子どもを一人ずつもうけ、「二児の母」になります。私はそこで「レインボーママ(ニジの母)」と呼ぶことにしました。二人目が生れた同じ時期、息子のアキュラは東京で就職してすぐに九州へ飛ばされます。それはそれで悪いことではありませんでした。しかしそこにコロナ禍が訪れます。

【この親子関係はなくてもあまり困らない――】

 新型コロナ感染はおそらく我が家のようなちっぽけな家にも、少しずつ大きな影響を与えました。ほとんど3カ月おきくらいに帰省していたシーナもなかなか帰れず、ことあるごとに助けたり遊びに行ったりしていた私たちも軽い気持ちで上京できなくなったのです。九州に赴任したアキュラとなるとなおさらです。そして3年がたち、私たち全員が気づき始めます。
「この親子関係、なくてもあまり困らない――」

 もちろん誰もあからさまに言ったりしませんし、中には気づくのがとんでもなく遅れる者もいました。しかし気づくのが最も遅れる可能性の高い私ですら気づいたのですから、他の家族にとってはとっくに既知だったのかもしれません。

 この正月、子どもたちが誰も来ない元旦を迎えて、とつぜん天から降ってきたのが、
「ああ、あの子たちはもう、私の助言をまったく必要としていない」
という思いでした。たぶん間違っていないでしょう。
 自分自身は二十歳代の最初から親の助言などすっかり鬱陶しかったのに、なぜ自分の子どもたちに対してはこんなに迂闊でいられたのでしょう?

「これからはあの子たちに対する言葉遣いは、うんと慎重にやらなくてはいけないな」
 それが2023年元旦の、私の「新年の誓い」となりました。