学習塾の先生たちは本当に教え方がうまいのだろうか――。
答えは簡単だ。うまい人もいればへたな人もいる。
ただしテストの点を取らせることには長けている。
なぜならそこにアドバンテージがあるからだ。
という話。(写真:フォトAC)
【学習塾の先生たちは本当に教え方がうまいのか】
月曜日(2023.11.27)の千葉テレビ、夜のニュースで「小学校の算数 塾講師活用で学力向上 検証/千葉県」という内容が扱われ、サイトに記録されたものがさらにYahooニュースへと転載されて大きな評判になっています。
特に現職教員からの反応が強く、X(旧Twitter)にもさまざまな意見が出されました。
反発する意見もあれば苛立ちを隠さない意見もあり、また屈服する意見さえもあったりして、少なくとも現役の先生たちの多くが傷ついたことは間違いないようです。
いろいろ言ったところで、児童に、
「塾の先生は小ネタをはさむのが上手。(担任と)大きく違う」「算数はすごく楽しくなって 好きになった」
と言われたらおしまいみたいな感じはありますよね。しかしいかがなものでしょう? 子どもがそんな言い方をしたら、教師は敗北宣言をしなくてはいけないのでしょうか?
【2週に1度なら、私にだってできますよ】
実は、稀に校長先生が来て授業をしたりすると同じことがおこります。
授業者はたった1時間のためにたっぷり時間をかけて準備し、渾身の授業をしますし、子どもの方は相手が校長先生ですから緊張して聞きます。よく聞くからよく分かる。分かるから楽しい・・・。
校長先生もご満悦ですが、それを1カ月以上続けることなど不可能なことは、ご自身もよくご存じです。アドバンテージのあることをよく知っているからです。少なくとも「たっぷり時間をかけて準備し」た授業を、6時間も毎日提供するなんて不可能に決まっています。
疑うなら20年も前に現場を離れた私を塾講師の代わりに呼んでください。1学期(4カ月間)に20時間。つまり1学年2クラスの学校だったら2週に1回、1時間ずつの授業を行えばいのですから簡単です。毎回すばらしい授業をお見せします。
ただし子どもの方は回を重ねるごとに慣れてダレてきますから、最初の1時と同じレベルで「すごく楽しくなって、好きになった」などといってくれません。それは仕方のないことです。
【学校のスタートライン、学習塾のスタートライン】
学習塾の先生たちが、本当に教え方がうまいかどうかというと、それは分かりません。若いころ8年間も塾講師の仕事をしていた私の感じ方からすると、うまい人もいますし、そうでない人もいます。ただしテストの点数を上げる、成績順位を伸ばすという点に限れば、塾の講師の方が上、ということは大いにありそうです。なぜならそれが仕事だからです。アドバンテージがあります。
一例をあげると算数ではよく、「分かる、できる、すらすらできる」と学習過程を三つに分けますが、例えば三角形の面積の求め方(底辺×高さ÷2)が「分かる」ところまで丁寧に考えさせ、実際に問題を解いて「(自分で)できる」ところまで確認すると、だいたい学校の授業時間は終わってしまいます。あとの「すらすらできる」は「家庭学習でしっかりやってね」という感じになってしまうのが普通です。
学校であれだけ丁寧に「分かる」と「できる」をやったのだから「すらすら」の部分は自分ひとりでもできるだろう、というのは神話かもしれません。しかし学ぶべきことは山ほどたっぷりあるのです。三角形の面積の計算練習だけで1時間もよけい取るなんて、とてもではありませんが、できることではありません。
学校はここまで。学習塾はそこから始めるので有利なのです。
もちろん塾でも三角形の面積の公式について、説明はしなおします。なぜならそこからチンプンカンプンな子いたりしますから確認しなくてはならないのです。実際にそんな子がいたら個別学習で最初からやり直します。そうでない子には、できるだけ早くからたくさんの問題を体験させます。
「高さ」が三角形内部に取れるもの、辺を伸ばして外部に取らなければならないもの、三角形が二つ以上交錯した複雑な図形に関する問題等々・・・ここまで手を広げると多くの子どもが「すらすらできる」実感を持つようになり、そして思うのです。
「塾の先生は教え方が上手い。だってできる(点数が取れる)ようになったんだもの」
【塾講師のアドバンテージ】
成績を上げるという意味で、塾の講師の方が有利な点は他にもあります。
そのひとつは、塾に来ている子たちのほとんどが、勉強をするためにそこに来ているということです。勉強が分からなくなって本当に困ってきている子もいれば、塾に来てから勉強が楽しくなって頑張っている子もいます。ただ親に言われるままに来て、うんざりした気持ちで授業を受けている子もいますが、いろいろな立場はあっても塾を遊び場だとか友だちとの交流の場だと思っている子はほとんどいません。
ところが普通の小中学校の場合、「勉強をするために通っている子」はむしろ少数派で、たいていは「友だちに会うため」「友だちと話すため」「友だちと遊ぶため」に学校に来ているのです(だから友だちのいない子は辛い)。教師と子どもの目的意識にずれがある――学校が最初から難しいのはそのためです。
もうひとつ学習塾の方が有利な点があります。それは塾の場合、本格的にウマの合わない子はいつの間にか教師の前からいなくなっているということです。その子が辞めるか、教師が配置換えになるか、クビになって塾を去ることになるからです。
それに対して「死んでもコイツの言うことなんか聞くものか」といった頑なな子どもまで引き受け、連れて行かなくてはならないのが公立学校です。お互いが不孝だとも、お互いが鍛えられるとも言えます。
もっとも困難だから公立学校の教師はおもしろいのであって、コンピュータゲームだってすぐにクリアできるから楽しいということはなかなかないでしょう? だから私も大昔、塾の教師を捨てて子どもに深入りできる公立学校を選んだのです。
【学校の塾講師活用、やることに意義はあるのか?】
実はちょうど10年ほど前、東京都は教員研修に「塾の講師に教え方を教えてもらう」という屈辱的な講座を企画して、とんでもなく叩かれたことがあります。いまはもうやっていないでしょう。塾と学校の向かう方向が違いすぎて、教師の資質向上にはつながらなかったのです。
では今回の千葉はどうか――。
千葉県教委は
今後、試験導入の効果を検証したうえで2024年度、本格導入するかどうか決める
と言っているそうですが、予算やカリキュラムに余裕があるなら年間60時間程度、続けて見るのも悪くないかもしれません。何と言っても日常と異なる授業は刺激的で、寝ている子を起こすことには力があるのかもしれないからです。やってみる価値はあるのかもしれません。
もしかしたら本当の理由は教師不足の一部緩和で、特別免許を与えて教科担任制で使うという腹かも知れませんが、すべての時間を任せるとなると「分かる」「できる」も丁寧にやってもらわなくてはならなくなりますから、塾講師のアドバンテージは失われます。
算数だと分かりにくいですが、塾講師が学校の国語で、学習指導要領に準拠して詩や短歌づくり、作文・朗読などの指導を始めたら、塾講師のアドバンテージが失われると考えるとわかるかもしれません。