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「そもそも法令が改革の前に立ちはだかっている」~教員の働き方改革が進まないわけ①

教師の働き方改革は絶対に必要だ。
しかし学校は勉強だけを教えていればいいところではない。
毎日4時間授業だ5時間授業だと言っても、そんなことができるはずもない。
すべて法令で決まっているからだ。
という話。(写真:フォトAC)


【現在の学校は昔とは全く異なっている】

 現在の学校の労働環境が最悪なことはSNS上での先生たち悲痛な叫びを見ても、あるいは教員採用の場面での志願者不足を考えても明らかなことです。
 ベテランや退職教員はすぐに「私たちが若いころだって大変だった」とか「今の教員はすぐに音を上げる」などと言いますが、信じる必要はありません。彼らが若かったころは小学校英語もプログラミング学習もなく、もしかしたら総合的な学習の時間もなかったのです。環境教育もキャリア教育もなく、あるのは平和教育と人権(同和)教育くらいのものでした。性教育すら平成に入ってからのことです。その一方で、教員だというだけで尊重してくれる気風は人々の間に残っており、体罰や暴言といった抑止力も使えました。楽なものです。

 時間的にも――例を挙げれば石原都政以前の東京都など、東京方式とかいって休憩時間を全部放課後に集めてしまったため、ほとんどの教職員は4時過ぎに退校していました。私は多摩地区の中学校で教育実習を受けましたが、600人規模の大校だというのに部活が六つしかなく、先生たちも帰宅し易かったのです。
 生徒のほとんども塾やら習い事やらでまっすぐ家に帰ってしまい、管理職と部活顧問の数名、そして私たち実習生だけが職員室に残るという不思議な光景でした(指導教官ですら帰ってしまった)。

 そんな東京都も現在は大変で、私が娘を通じて知った若い教師たちも、皆やめてしまいました。今年度の採用試験の「教員免許がなくても採用します」という無謀は、そんな状況から生まれたものでしょう。

 教師の働き方改革は焦眉の急、そんなことは何年も前から分かっていたのに、有効な改善策は一向に出て来ませんし、実際の改善も行われていません。現場の先生からは次々と改善策が提案されているのに、ひとつも実現の兆しが見えせん。
なぜでしょう?

 実はそこにはさまざまな事情があるのですが、現場の先生方があまり顧慮しないことのひとつに法令の問題があります。

 

【学校は勉強(だけを)教えるところではない】

「学校は勉強を教えるところだ。だから先生の仕事は勉強に特化すべきだ」
 そういう言い方があります。
 ここで言う「勉強」とは教科として定められた「国語・社会・数学・理科・音楽・美術(図工)・体育・技術家庭科(家庭科)」のことでしょう。最近では「道徳」も「特別の教科道徳」ということで「教科」に格下げになっていますからこれも含めて、教師の仕事をこの範囲にとどめるべきだ、という考え方です。
 しかし法律は学校の教えるべきことは「教科」だけではないと言っているのです。

 例えば教育基本法の第一条では、
教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
と言い、第二条一項では教育の目標を、
幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
ともあります。
 第二項から第五項まですべて同じようなものですが、要するに「知識・教養」とともに「態度・情操・道徳心」を養い、「健やかな身体」を養うことが教育だと言っているのです。
 これはいわゆる「知・徳・体(知育・徳育・体育)」に相当するもので、別の言い方をすれば「知識や技能の教育」「人間関係を円滑に行うための教育」「心と体の健康を守る教育」の三つが「教育」の本質だというのです。

「いやいや、それは一般的な教育の話で、必ずしも学校で行えというわけではないだろう」と考える向きもあるかもしれませんが、教育基本法は学校教育法の上位法ですし、学校教育法にも同様の記述があります(第五条二項など)。

 法律にあるから従いなさいという意味ではありません。
「学校は勉強を教えるところだ。だから先生の仕事は勉強に特化すべきだ」
と言った瞬間に私のように法律を振りかざす人間が出てきて、法令をもってあなたの意見を封殺してしまうから考えましょう、ということです。

 

【授業時数は減らせない】

 一方、「教える内容についてはしばらく置いて、とにかく日常が忙しすぎるから授業以外の仕事をする時間を生み出してくれ」という視点もあります。こうした人々は時間割の改善を求めます。
「せめて毎日の授業時数を5時間以下にできないか」
「給食終了とともに児童生徒を帰宅させれば、かなりの時数が稼げる」
といった意見です。しかしここにも法令の網がかかります。学習指導要領です。

 指導要領は学校における指導内容を示すとともに、その時数も規定しています。

(小学校学習指導要領時数)

(中学校指導要領時数)

 見た通り小学校高学年および中学校については年1015時間の学習が求められています。

 かつてはこれを目標(もしくは上限)時数と勝手に解釈する自治体(例えば東京都)もありましたが、現在で最低時数ということで一致しています。

 この時数を守った上で「毎日4時間授業」にしたら何日かかるのか――。
 (1015÷4)ですから答えは簡単。252日です。しかし1年に土日は104日もありますし、祭日が16日もありますから、252日は長期休業を全廃しても足らない数字です。
 では毎日5時間授業だったらどうか?
 これだと登校日数は203日となり、現在とほぼ同じですから何とかなりそうです。

 しかし実際にはそうなりません。
 現在の授業時数は週29時間、1日平均5・8時間。それで200日も登校しているのですから総時数は1160時間。1015時間をはるかに上回る学習をしているのです。同じ内容を「毎日5時間授業」で果たそうとしたら必要な日数は232日にもなります。全長期休業を3週間程度に押さえて初めて可能になる数字で、とても現実的とは言えない数字です。

 「毎日4時間授業」では指導要領の時数は確保できない。しかし指導要領を杓子定規に当てはめれば「毎日5時間授業」はなんとかなる。それなのに現在の学習内容では「毎日5時間授業」では果たせない。
 それが今日の結論です。

(この稿、続く)