カイト・カフェ

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「小春日和とインディアン・サマー」~むちゃくちゃ暑かった勤労感謝の日に思い出したこと

 昨日の勤労感謝の日、晩秋にあるまじきとんでもない暑さだった。
 これを日本では小春日和と言う。
 同じ現象を北米ではインディアン・サマーと言うが、
 両方とも分かりにくい時代になってきた。
という話。(写真:フォトAC)

【小春日和(こはるびより)】

 昨日の勤労感謝の日はとんでもない暑さで、畑の片付け仕事で草取りをしていた私も、とんだ汗をかきました。最後はTシャツの上の長そで一枚となり、腕まくりをしてもその始末。明日、土曜日からはまた冬らしい厳しい寒さになるとかで、温度変化のジェットコースターに体がついて行きません。
 
 ところでこの季節のこの暑さ。よく誤解され、よく説明もされるのですが、晩秋から初冬にかけての時期にとつぜん訪れるこうした暑さのことを「小春日和(こはるびより)」と言います。「春」という文字や言葉のゆったりとした雰囲気に騙されて「2月の末から3月にかけてのころ、一時的に訪れる春を思わせる暖かさ」のことだと思うと、とんでもない勘違いになります。
 島崎藤村が随筆集「千曲川のスケッチ」に、
「秋から冬に成る頃の小春日和は、この地方での最も忘れ難い、最も心地の好い時の一つである」
と書いたように、あるいはさだまさし山口百恵に贈った「秋桜(コスモス)」に、
「こんな小春日和の穏やかな日は あなたの優しさが浸みて来る」
とあるように、「小春日和」には穏やかで優しく、心地よい印象がありますが、さて皆さま、昨日の気候はそんなふうに心地よかったでしょうか? 畑仕事の私が青息吐息だったのは仕方ないにしても、普通に過ごした人にとっても、そんなのどかな一日だったのでしょうか?

 考えてみたら私にとって今のこの時期の晴れた日は農作業のかき入れ時で、そこにとつぜんの暑さが訪れるともうヘロヘロです。おそらく毎年同じです。そんな小春日和が穏やかな日であるわけはなく、「あなたの優しさが滲みてくる~」はずもありません。

インディアン・サマー

 北アメリカでは日本の小春日和に相当するものをインディアン・サマーと言うのだそうです。「インディアンのように前触れもなくとつぜん襲ってくる夏」と言う意味です。いつにも増して畑仕事に疲れてしまっている私には、むしろこちらの方がしっくりきますが、これも今日の日本の若者には分からない感じでしょう。

 インディアンというのはネイティブ・アメリカンのことで、心の隅では首を傾げながらも死ぬまで自分が発見したのはインド大陸だと信じていたコロンブスに由来する名称です。南アジアのインド人と区別するために、一時はアメリカン・インディアンと呼んでいた時代もあります。
 感謝祭の逸話にあるように、はじめは良好だったヨーロッパ人とネイティブ・アメリカンの関係も、やがて移住者が増えると次第に軋轢が生じるようになり、圧倒的な武力を有する白人に土地や家族を奪われたネイティブ・アメリカンたちは、しばしば白人を急襲して復讐を果たし、あるいは財産を奪い返したのです。

 私くらいの年代だとテレビで西部劇を覚え、マカロニ・ウエスタン(イタリア製西部劇)で青春時代を過ごしていますから、そのあたりは感覚的にもよく分かるのです。
 しかし日本で時代劇が少なくなっているようにアメリカ映画で西部劇というのもほとんど見られなくなり、「インディアン」と言う言葉の持つ荒々しく凶悪なイメージも伝わらなくなりました(偏見がなくなったこと自体はいいことです)。
 インディアン・サマーも小春日和も、いちいち説明の必要な時代が来ているのかもしれません。

【春なのに秋、秋なのに春】

 ついでですが、春と言いながら秋である「小春日和」と、ちょうど逆の関係にある言葉があります。「麦秋(ばくしゅう)」です。麦秋は秋ではなく、麦の穂が実り収穫期を迎えた初夏のことを表現した言葉なのです。

 梅雨に入る直前、秋の稲田のように真っ茶色に広がる畑を見かけたら、それは麦畑です。ひとは案外気づかないもので、都会から来たお客さんに教えてあげると初めて気づいてびっくりします。初夏なのに稲刈りシーズンみたいな風景があることに、言われるまで何の違和感も持たなかったからです。

 そんなものです。人は見ているようで何も見ていない――。
 私は今週のNHKの朝ドラ「ブギウギ」を使って、いかに人は月を見ていないかというお話をしました。しかしかく言う私も一昨日、何の気なしに見上げた真っ青な空に、白くくっきりと半月がかかっているのを見てびっくりしたのです。東の方角、およそ45度の高さに、ほぼ上弦の月があったのです。昼間の半月があんなにくっきりと見えるとは、すっかり忘れていました。 
 夜の月のことはいつもうるさく言うくせに、毎日ボーっと生きているらしく、昼間の月のことはすっかり忘れていたのです。

 ついでに今週の「ブギウギ」、火曜日にきれいな三日月の表現がありました。右下から光を浴びた美しい姿です。《うん、これならOK》と思ったのですが、思い出したら主人公は、番組の出だしで弟に夕飯を出してくれた大家さんに向かって、こんなふうに言っていたのです。
「ホンマすんません。こんな夜中に・・・」
 スズ子さん、三日月は、夜中に出んのですよ――。