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「今年の夏はこんなテレビを見て過ごした」~夏ドラマから知ったこと考えたこと①

 今年の夏のテレビドラマ、なかなか見るべきものが多かった。
 そのうち23本を見始め、12本を最後まで見て、
 4本を特に気に入り、こだわっていた1本を投げ捨て、
 評判の1本には同調できなかった。
という話。(写真:フォトAC)

 

【2023年夏ドラマ】

 9月もいよいよ終わりに近づき、7月から始まったテレビの夏ドラマのほとんどが最終回を迎えました。なかなか見るべき番組の多い夏でした。

 教員をやめてから驚くほど増えたのが小説を読む時間とテレビドラマを観る時間。小説もドラマも、生きていく上で、あるいは教員として働く上で必須のものではないので、ずっと犠牲にしてきたものです。とにかく忙しくて読みかけのページを次に開けるのはいつなのか分からない、撮り溜めたテレビドラマの“次回”を視聴できるのはいつになるのかまったく分からない、そんな状態では継続的な読書や鑑賞はできません。

 もっともドラマの方は、我が家にBGD(バック・グランド・ドラマ)とか言って仕事中もつけていないと気分の落ち着かない不思議な妻がいて、振り返ればいつでも見ることのできる環境はあったのですが、私の方は不要な日本語が入ってくるとものが考えられない至って普通の人間なので、在職中は聞きたくもないドラマのセリフから思考と仕事を守るため、ヘッドフォンで音楽を聴き、ドラマからは目をそらし続けていたのです。だから当時のドラマのことはほとんど知りませんでした。
 それが現在はちょこちょこ覗き見し、面白そうであればきちんと見るようになったのです。今季そんな見方で見始めた夏ドラマは、NHKの大河と朝ドラを入れて23本もありました。

【最後まで見ることのできた12本】

 そのうち丁寧に最後まで見たのは、

の12本。このうち特によかったのは「しずかちゃんとパパ」「わたしの一番最悪なともだち」「らんまん」「何曜日に生まれたの」の四本です。

【秀作4本】

 「しずかちゃんとパパ」は昨年BSPのプレミアムドラマ枠で放送し、放送文化基金賞など国内各賞を受賞した作品で、耳の聞こえないろう者の父と、生まれながら父と社会の通訳を運命づけられた娘、そして二人の住む町へ再開発の計画を持って現れた大手開発会社の青年、その三人が織りなすホームコメディです。登場するすべての人々が優しくたおやかで、心温まる物語でした。
 テーマのひとつは《聞こえない親のものとで育つ、聞こえる子どもたち》で、彼らは英語の頭文字をとって「コーダ(CODA : Children Of Deaf Adults)」と呼ばれています。特殊な育ち方をしてきて、特殊な偏差を抱える子たちです。そこに被さってくる開発会社の青年は明らかな「自閉症スペクトラム障害(ASD)」で、こちらも強い偏差を抱え、しかしドラマの中ではうまく噛み合っていきます。周囲に彼らを支えるたくさんの手があって、その手に支えられて彼らもまた、周囲の人々を支えていくのです。ろう者の父親役の笑福亭鶴瓶師匠の演技が出色でした。

「わたしの一番最悪なともだち」は是枝裕和監督の映画の常連・蒔田彩珠が主演する15分ドラマで、全32話中、現在17話まで進んでいます。
 何ともパッとしない女子大生の主人公が紆余曲折を経て一流化粧品会社に就職し、その中で何とか仕事を果たしながら成長していく物語で、《何ともパッとしない》、つまり普通の若者を蒔田彩珠が淡々と演じています。間の取り方がものすごくうまく、セリフのない状況での顔の演技が秀逸な女優さんです。

 朝ドラの「らんまん」は浜辺美波が主人公を食ったと評判のドラマですが、4月から一貫して主人公は《誰かに食われている》状態で今日まで来ています。だからことさら言うほどのこともないのです。
 なにしろ植物学者の牧野万太郎は、生活のために働くということを全く考えず、そのくせ書籍や採集旅行のために湯水のよう金を使い、周囲の困惑をよそに大震災の火災の際中ですら家族の命より標本を大切にするような人です。まったくそのままで天真爛漫、成長というものがありませんからドラマにもならないのです。つまり周りが成長するしかない。その周囲の人々の成長物語が「らんまん」ですから、このままでいいのです。
 
 「何曜日に生まれたの」は「101回目のプロポーズ」や「高校教師」を書いた野島伸司が数年ぶりかで地上波に書き下ろしたドラマとかで、前評判の割には野島らしくないとネット上では不評です。けれど私は好きです。
 軽妙で洒脱な会話のやりとり、複雑に絡み合った人間関係の綾が次第に解けていく感じは、なかなか優れたものだと思うのです。のちのち語り継がれるような作品ではないかもしれませんが、1960年代に流行したホリーズ「バス・ストップ」がいきなり流れる中で、雨傘が上空から映し出されると、当時を生きた人間は震えます。

【乗れなかったドラマ】

 拾った4作品のうち3作品までがNHKですが、資金も時間もたっぷり使えるNHKドラマはダメということはほとんどなく、せいぜい平凡どまり、安心して見続けられるのが普通です。ところがこの夏、私はついに「どうする家康」を「本能寺の変」までたどり着くことなくやめてしまいました。まったくダメだからです。
 史実に忠実でないことで蛇蝎のごとく嫌って評論する人もいますが、私には登場人物が一様に平板で、つまらなく思えるのです。信長も秀吉も光秀も、もっと複雑で厚みのある人間でなければなりません。
 もちろんいかに新解釈とはいえ「本能寺における信長暗殺事件は、本来、家康が立てたもの」といった仮説はおふざけ以外の何ものでもありませんし、全編のあちこちに出てくるユーモアらしきものも、私にまったくついていけないものです。
 
 ついていけないと言えば評判の「VIVANT」。「バルカ共和国、首都はクーダン」と出て来ただけで気分が数段落ちてしまいます。ドラマに架空の国や都市が出てくるのはかまわないのですが、全部が架空ならまだしも、一方に日本だの東京だのハーバード大学だの、実在の国や都市や大学が出てくるとすんなりと引き込まれなくなります。
 どんでん返しに次ぐどんでん返しというのも面白いというよりはウンザリ。あるいは、もしかしたら私は主演の堺雅人さんが好きでないのかもしれません。昭和初期の嵐寛寿郎大河内伝次郎笠智衆三船敏郎、平成に至っては竹中直人――、この人たちは皆、どんな役が来ても“自分”にしてしまう怪優です。三船敏郎椿三十郎を演じても菊千代をやっても三船、阿南陸軍大臣を演じても山本五十六をやっても三船、です。
 私はそういう俳優があまり好きではありません。
(この稿、続く)