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「テレビの登場と進化の話」~テレビ放送70年目の誕生日に①

 今日、2月1日は70回目のテレビの誕生日。
 1953年のこの日、NHKが初めて本放送を始めた。
 それから70年、テレビに色がつき、やがて薄型化していく。
 それにしても時間がかかったものだ。
 という話。(写真:フォトAC)

【今日はテレビの誕生日】 

 今日、2月1日は70回目のテレビの誕生日です。1953年のこの日、NHKテレビの本放送が始まりました。記念すべき第一回放送は記念式典と舞台劇などが放送されたそうです。

 そのころの一日の放送時間はわずか2時間、受信契約世帯もたったの886軒だけだったと言われます。しかしそれもそのはずで、直前の1月に発売された初の国産テレビ受像機(シャープ電機製)の値段は17万5000円。普通のサラリーマンの2年分の収入に匹敵したというから大変なものです。

www2.nhk.or.jp

 庶民にはとてもではないが手の出せない高嶺の花で、このころ一般の人々が目にするのは町の辻々で公開された“街頭テレビ”でしかありませんでした。一番の人気はプロレス中継で、この時期の写真「力道山の戦いを報じる街頭テレビに群がる視聴者たち」(1955年)を見ると、試合どころか街頭テレビの受像機もどこにあるのか見えなかったのではないかと思われるほどです。

 ただしそれは都会の話で、私の生まれ育った街に街頭テレビがあったかどうかは記憶にありません。覚えているのは電気屋さんのショーウインドウに飾られたテレビで、道路からでは音も十分に聞こえませんでしたが、いつも人だかりになっていました。実は私の祖父の家が電気屋さんに店先を貸していて、見物の人だかりは店の中から見ていたのです。ですからテレビ放送そのものを見たいときは私も外に出て、他の人と混ざるしかなく、電気屋に店を貸している有利さはまったくありませんでした。

 1959年4月の「皇太子(現在の上皇様)御成婚中継」は黒山の人だかりで、実家の軒先であるにも関わらず落ち着いて見ることのできなかった母はため息交じりに、「東京オリンピック(1964年)までにはウチにもテレビを入れたいわね」とか言うしかなかったのです。
 もっとも世間は東京オリンピックまでテレビを待ちませんでした。

【我が家にもテレビが入る】

 いわゆる高度成長期の始まり。「皇太子御成婚」で勢いづいたテレビ購入のブームはあっという間に我が家にも押し寄せ、わずかその2年後には私も自宅でテレビを見ることになったのです。受像機の値段が5万円台半ばと劇的に下がったこともありましたし、父の給与も信じられないほど上がっていたのです。
 もちろん安くなったとはいえテレビはたいへんな貴重品で、見るとき以外は刺繍のついたカーテンみたいなものを被せて誇りがつかないようにしておきます。画面サイズはおそらく14インチで、センチで示すと21・3cm×28・4cmですからとんでもなく小さなものでした。しかし中に広がる世界は巨大ですから十分満足です。そこにとんでもない発明品が飛び込んできます。

 画面の前に被せて疑似的に大きく見せる巨大レンズで、しかも三つの色がついていてカラーに見えるという代物です。女優さんがアップになった時、顔が上から順に青・黄・赤と塗り分けられるのに何の意味があったのかは分かりませんが、それでもけっこう自慢でした。

【二度の大変革】

 ハードとしてのテレビは、今日までに大きな変革を2回経験しています。カラー化とデジタル化です(私はインターネット・テレビという概念をうまく使いこなせないので2回と言いますが、もしかしたらそれも入れて3回というのが正しいのかもしれません)。

 ある発明品が実現することと普及することの間には結構な時間のずれがあって、私の家で白黒テレビを買った前年にはすでにカラー放送が始まっていたようです。白黒テレビの値崩れにはそうした背景があったのですが、当時の私はたぶん知らなかったと思います。自分の周囲にないものは存在しないと同じです。
 我が家にカラーテレビが入るのは白黒テレビの導入から10年後になります。私が大学に入った翌年、帰省したらテレビに色がついていました。東京のアパートの私の部屋にカラーテレビが入るには、さらに数年かかったようにも思います。

 カラーテレビは次第に大型化し、我が家の場合、最後のブラウン管テレビは25インチ(38・1cm×52・8センチ)ほどにもなったと記憶しています。ところが大型化すると困るのは奥行きもどんどん深くなってしまい、部屋の圧迫していくことです。どこの家でもテレビが部屋の角に置かれたのはそのためだったのかもしれません。

 ですから薄型テレビへの希求は早くから高まり「壁掛けテレビ」は明日にも実現するかと思われたまま20年以上が経って行きました。
 2003年に地上デジタル放送が始まり、2011年のアナログ放送終了が予告されると、ブラウン管テレビの故障を待って我が家も液晶テレビに変えました。28インチほどだったでしょうか。それでも画面のあまりの大きさに、目が眩むような気がしたものです。
(この稿、続く)