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「コリジョンコース:見えるはずの車が、見えないまま衝突してしまう」~冬休み中に思ったこと感じたこと③

 年初めに福島県で大きな交通事故があった。
 私がかつて経験したものと同じ型の事故だ。
 見晴らしがよく、どう考えても起こりそうにない場所での事故、
 ――広大な場所では車が消えてしまうのだ。
 という話。(写真:フォトAC)

【見ようとすれば見えるはずの車が、見えないまま衝突してしまう】 

 1月2日の夜、福島県郡山市で大きな交通事故がありました。乗用車と軽乗用車が交差点の出会いがしらに衝突して軽乗用車が炎上、乗っていた一家四人が全員亡くなったのです。
 出会い頭というと“互いに見えないところから顔を出し合って”という印象ですが、今回の事故はそうではありません。きわめて見通しの良い田舎道の十字路で、互いにまったくブレーキを踏むことなしにぶつかったのです。
 
 軽自動車側道路が優先で、かすれて見えにくかったとはいえ停止線があったために乗用車の男性(25)が自動車運転処罰法違反(過失致死)の疑いで逮捕・送検されました。しかし私はこの人に同情を禁じ得ないのです。私自身が同じような経験を2度までもしていて、一度は自分の車を廃車にしているからです。

 だだっ広い農地の真ん中で、見ようと思えば見えているはずの車に気づかず、吸い寄せられるように交差点に進入して衝突してしまう――そうした事故を「北海道型(十勝型・田園型)交通事故」または「コリジョンコース現象」というのだそうです。私が嵌まったのがまさにそれで、今回の郡山の事故も後者の言い方(コリジョンコース現象)で改めて紹介、注意喚起が行われています。

【私のコリジョンコース遍歴】

 「コリジョンコース現象」のコリジョン(collision)というのは「衝突、激突」の意味で、本来なら事故が起こり得ないような見通しの良い、広い田園地帯などで発生しやすいとされています。条件としては直角に交わる交差点に、2台の車がほぼ同じ速度で90度の角度で侵入するときに起こります。そうした状況では、互いの車は車窓の中で止まって見えるというのです。

 これについては原理的な部分を『2010.08.30「コリジョンコース現象」~見通しの良すぎる交差点で、魅入られたように衝突する』で、実際の体験を『2017.05.25「車が突然、目の前に降ってきた」?あれほど言ったのに自分がコリジョン・コース現象にはまる』で書きました。

 後者では、かなり画質が悪いとはいえ、ドライブレコーダの画像を添付し、いかに車が見えにくいかを示しました。相手の車は止まっているわけではないのですが、交差点に入る直前まで、フロントガラスの左隅の同じ位置にじっと納まっているのです。私たちの目は動いているものには反応しやすいのですが、視野の中の同じ位置にいると見落としがちなのです。
 このとき、私は見逃しましたが、相手は私を見てくれていてブレーキをかけてくれたので事なきを得ました。

 ところがその翌年、2018年の冬に起こした事故ではそういうわけにはいきませんでした。私の方が優先でしたが交差点にはあとから侵入したため、フロント部分が大破して初めての車検を通したばかりの車を廃車にしてしまったのです。
 その顛末は事故の半年後、『2019-07-11「事故の顛末」~交通事故を起こした話1』『2019-07-12「コリジョンコースにまんまと嵌る」~交通事故を起こした話2』で書きました。
 そこでは「コリジョンコース現象」だけでなく、「だだっ広い畑道ではヘッドライトの光が抜ける」という現象についても説明しています。街場と違って反射する建物や壁がないので、相手の車の発する光は驚くほど見えないのです。

【注意していても回避の難しい魔力がある?】

 以来私は広い畑道でこそキョロキョロとあたりに注意して、夜道も他の車のヘッドライトをアテにしないようにしています。しかしそれでもしばしば直前まで気がつかない車があることに驚かされます。もっとも衝突するのは「両者ともに錯誤に陥っている場合」だけですから、なんとかぶつからず助かっています。

 ちなみに昨年12月に書いた『2022.12.09「真っ昼間、キツネに遭った」~キツネを巡るetc.(エトセトラ)』で紹介した交通事故の場所も、典型的な「コリジョンコース現象」の起こりやすい交差点です。この場所では年の暮れにさらに2件の衝突事故があり、この数カ月で5件というとんでもない数になってしまいました。それ以前は30年間で数件でしたから異常な数です。
 郡山の事故のあとでは“キツネのせい”というのは悪い冗談にしかなりませんが、これだけ立て続けに起こるからには何らかの理由があるはずで、以前と何が違っていているのか、風景に変化はあるのか、路面に変更があったのか、あらためて調べる必要もあるように思っています。

(参考)