令和になって3カ月が過ぎようとしている
何が変わったのか?
ちょっと見には分からないが
確実に変わったものはあるはずだ
というお話。(「美しい紅富士」phtoAC より )
【雅子妃が輝いて】
誰の目にも明らかなことですが、病気療養中の雅子妃の表情に、輝きが戻ってきました。
フランスのマクロン大統領夫妻が来ればフランス語で直に話し、トランプ大統領が来れば夫人に寄り添って頬を合わせる――報道によればフランス人などとは違って、普通のアメリカ人は親しい間柄でもチークキスをすることが少ないそうです。雅子妃は、メラニア夫人がスベロニア出身だということを覚えていて敢えてそうされたのだと、その英明さをたたえる記事がありました。
もともと緒方貞子(元)難民高等弁務官に憧れて外務省に入った人です。官庁ではなく皇室という場で外交を行おうとしていた人に、ようやく活躍の場が与えられたわけですから、否が応にも輝きは増します。
ただし最近は少々お疲れ気味とかで、公務を休まれることもあるみたいです。お体と相談の上、これからもご活躍いただければと思います。
皇后としての仕事は皇室外交に限りません。それ以外にとんでもなく多くの公務を抱えておられます。しかも前任者はあの美智子妃なのです。ただ事ではありません。
美智子妃は三人のお子さんを手元で育てられ、長く日本の「理想の家庭」であり続けた、それだけでも大変なことです。被災地の避難所で、被災者にサッと近づいてひざを折り、人々の手を取る姿――、それを見て平成天皇も自ら膝をついて人々に話しかける、その姿は歴史に残るものです。
そんな優れた皇后が今までいただろうか。
――そう考えたら、光明皇后(藤原不比等娘・聖武天皇妃 701~760)まで遡らなくてはならないに気づきました。昭憲皇后(明治天皇妃)や貞明皇后(大正天皇妃)を上げる人もいるかもしれませんが、一般的には光明皇后でしょう。美智子妃はそのくらい稀有な存在なのです。
その跡を襲う雅子妃、本当に大変ですが、私たちみんなで支えていくべきです。元々は私たちと同じ一般人の出なのですから。
【抜き差しならない日韓関係】
令和が始まって1週間目の5月7日、私はブログで「日本人は戦争の責任を引き継がない」だろうと書きました。
kite-cafe.hatenablog.com その一か月前にも、こんなふうに書いています。
「令和」の世になれば「昭和」はふた昔前の時代となります。前代の罪は引き継いでもいいが2代前までは背負いきれない――そんなふうに人々が思い始めるのも自然の成り行きでしょう。
同じ時期、韓国朝鮮日報がこんなふうに書いていました。
令和時代は新天皇の個人的な立場とは関係なく、日本が第二次世界大戦のあらゆる負担から脱して今後歩んでいく初の時期として記録される可能性が高い。
(2019/04/29戦争に負い目ない新天皇即位、世界指導国への飛躍を夢見る日本)リンク切れ
令和になれば日韓関係は根本から変わるという予感は、多くの人々の心にあったわけです。
その予感通り、今月初めの輸出規制強化は日韓を抜き差しならないところまで連れて行ってしまいそうです。
【日本は『いい子』でいることをやめた】
韓国日報日本語版はつい最近まで、今回の問題を「輸出規制」あるいは「輸出制限」と言わず、「輸出優遇除外」と表現していました。実に的確で冷静な言い方です。
日韓双方すべてのマスコミで真似すればいいのにと思っているうちにいつの間にか消えてしまいましたが、語が表現する通り、本来はそんなに大した問題ではありません。
ホワイト国の指定を外したところで、手続きに手間取る最初の数カ月を過ぎれば、大過なく輸出入は進むはずです。それを韓国大統領府と左翼マスメディが煽ってしまった。
文政権は直接対決を避けて――というより直接提示できるものが何もないので――素材の国産化・輸入先の多角化といった方向を示すとともに、強く国際社会に訴えることにしました。声高に日本を非難する道を選んだのです。そのやり方を、背後から国民が不買運動と支持率で支えます。
昔はそれでうまく行きました。韓国が怒れば、日本国内の誰かがそっと政府の袖を引っ張ってくれたからです。
「昔、迷惑をかけたんだから、それくらい聞いてやりなさいよ」
しかし今は難しい。
令和ですから。
日本人の気持ちはすっかり変わってしまいました。
フジテレビの論説委員である平井文夫さんの言葉を借りれば、
「日本だけが優等生でいることを安倍さんはやめた。(中略)『いい子』でいることをやめた」
のですから。
【大統領は、正義のために、国家と抱きつき心中してしまうかもしれない】
しかし文在寅大統領も信念の人です。自らの主張を変えることは絶対ないでしょう。日本も追加の対応を取らざるを得ない。
私は韓国のことをずっと心配してきました。
kite-cafe.hatenablog.com以降。
古代ギリシャではソクラテスが「悪法も法なり」と言って毒杯をあおり、日本でも終戦直後「政府の配給したもの以外は口にしない」と言って餓死した裁判官がいました。
いやその前に、昭和16年9月6日の午前会議で、開戦を躊躇う近衛文麿首相に対して、陸軍大臣の東条英機は「人間たまには清水の舞台から飛び降りることも必要だ」と詰め寄り、3ヶ月後、自らが首班に指名されると日本を抱いたまま本当に“清水の舞台”から飛び降りてしまいました。
人はときに、正義のために何でも捨てることができるのです。
もしかしたら文大統領は、本気で正義のために、国家と抱きつき心中をしてしまうのではないかと恐れるのは、そのためです。