「時を掴んで人を変える」~時代の節目「令和の誕生日」に思うこと

 学校の登校日に合わせて書いているこのブログ
 10連休も一緒に休むつもりだったけれど
 改元の雰囲気が これほど盛り上がるとは思わなかった
 これを見過ごしてはいけない
 やはりこの機会にひとこと書いておこう
というお話

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【単なる時の変わり目が、人々の意識に特別な意味を付与する】

 以前から繰り返し申し上げていますが、日本では年号が変わると時代が変わります。人々の考え方や歴史の動かし方が違ってくるのです。

 海外も同じで、西暦を使う国々では大きな節目と言っても100年を単位とした世紀末と新世紀の間しかありませんが、それでも20世紀末の2000年にはロシアで宇ラジーミル・プーチンが大統領になりフランスで超音速機コンコルドが墜落し、21世紀最初の2001年にはアメリ同時多発テロがあったことを考えると、世紀を更新することでひとつの時代が終わり、新しい時代の始まることを思わずにはいられません。
 100年遡れば1900年は義和団の乱(清の滅亡の始まり)。1901年はヴィクトリア女王崩御(イギリスの凋落の始まり)です。

 もちろんこれらの事件はイエス・キリストが10年か20年早く、あるいは遅く生まれているだけで世紀末・世紀始まりの事件としての意味を失ってしまいますが、たまたま世紀の分かれ目に位置してしまったために、特別の意味を付与されたものなのかもしれないのです。

 つまり、たまたま世紀末に起こったがためにたった一機のコンコルドの墜落が超音速旅客機の開発の息の根を止めてしまった、たまたま新世紀直前の当選だったためにロシア国民はKGB出身の恐ろしい男を新時代のエースとして受け入れてしまった、そして新世紀最初の年の事件であったために、21世紀の主催者を自任する合衆国は「テロとの戦い」を始めてその引き際を見失ってしまった、そういうことなのかもしれないのです。

 

【令和の誕生日の浮き立つ雰囲気】

 年号は百年紀に比べると短い期間で更新していきますが、それだけに「昭和生まれ」だとか「平成生まれ」だとか世代をひとくくりにするのに楽な概念です。気分も雰囲気も、コロコロと転換しやすいと言えます。

 前回の平成への改元は、覚悟はしていたとはいえ昭和天皇崩御に伴って行われたものであり、自粛ムードがあまねく広がったためにとてもではありませんが「お祝い」という雰囲気にはなりませんでした。「ワクワク」とか「ソワソワ」とか、あるいは「ドキドキ」といった感じもまるでなかったのです。

 ところが今回の改元は平成天皇生前退位に伴うもので、今日の改元は1年半前に予告され、「令和」という新元号も1ヵ月前に告知されてしました。直前まであまり見えていませんでしたが(と言うのはテレビは「10連休をそう過ごすか」と言った話ばかりだったからです)、国民の受け入れ態勢は万全で、多くの人たちが「行く平成」に思いを凝らし「来る令和」に希望を託していたのです。

 平成駆け込み婚や令和の出発婚、平成感謝セールに令和スタートセール。渋谷・新宿を始めとする各地各所におけるカウントダウン・イベント。寺社が記念写真用に小さな「平成額」「令和額」を用意したといった小さな配慮まで含めると、日本全体で大きなエネルギーの動きがありました。
 小さな子どもまでが「平成が終わって寂しい」「令和はいい時代にしたい」とインタビューに答えられるほどの今回の盛り上がり――つい最近まで、世の中は「10連休には興味はあっても改元にはさっぱり関心がない」という雰囲気だったのに、実はものすごくたくさんの人たちが、「これを機会に変わろう」「生まれ変わろう」「生きなおそう」と感じていたのです。

 

【私たちは生きなおす】

 おそらく日本人はそうした「生まれ変わり」「生きなおし」が大好きな民族なのです。

 卒業式はまだしも、入学式というものをあれほど派手にやる国はそれほど多くないでしょう。各学期の最初と最後にいちいち始業式・終業式を行う国もないと思います。私たちはそれを「けじめをつける」行為だと考えていますし、そうすることによって次の時期・時代・場に自分を置き直す助けとします。

 学校の教師が毎年年度初めに目にする光景も同じものです。
「小学校に上がったのだから」「中学生になったから」
 2年生になった、3年生に進級した、いよいよ4年生だ――そうした意識は、児童生徒のあり方を大きく変えていきます。

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 そしてその瞬間をうまくとらえる教師こそ、一流の教師です。

 

【後悔しなくて済むこと、そして予告】

 時々あることですが、今日も私はつくづく、
「ああ、現場の、現職の教師でなくてよかった」
と感じています。

 なぜなら先週金曜日に、
「テレビを見ていると10連休をどう過ごすかという話ばかりだけどやはりここは行く『平成』を惜しみ 来る『令和』を想うってことじゃないか?」
と書いた私は、世間の趨勢をすっかり見誤り、「平成」から「令和」に替わる、つまり児童生徒が大きく生まれ変わるチャンスを、みすみす見逃していたに違いないからです。
 週明けに悔し涙を流すくらいの気持ちでホゾを噛んでいる自分が目に浮かぶようです。

 でも仕方がない。
 もし現在、学級担任なら、まだ5日ほどあります。今から丁寧な原稿をつくり、大型連休明けの7日の朝の会での話と、それを受けて行う週明け最初の「道徳の時間」に、年号の変わる意味を話し、生まれ変わりの幇助をするしかないでしょう。
 連休前にタネを蒔いて明けに収穫するくらいのつもりでやっていれば、エネルギーも半分以下で済んだのに――そんなふうに思います。

 令和の誕生日。今夜は私も祝杯を上げましょう。


 さて、いよいよ始まった令和。
 私にはそれが、
 こういう時代になるだろうと確信めいたことがいくつか、
 こうなるのではないかという恐れや心配がいくつか、
 そして、こうなってほしいという願いがいくつか、あります。
 連休明けにはそのことを書いておこうと思います。