「好奇心と探究心に満ちた教師こそが最大の学習環境だ」~教師の教養と学校のアカデミズム③

 今は多忙のために望むべくもないが、
 好奇心に溢れ、探究心の赴くままに調べ、
 手に入った知識に興奮して語ることのできる教師こそ最大の学習環境だ。
 そして、勉強をする気になる教室・学校――。

という話。f:id:kite-cafe:20210428065332j:plain(写真:フォトAC)

【授業に必要な知恵はすべて退職後の暇な時間に学んだ】

 以前にも書いたことですが、今の私の知識と情熱をもって社会科の授業で北斎を扱うことが出来たら、どんなに素晴らしいことか――そのことは繰り返し残念に思います。

 中学校の教師をやっていたころの私は、
「文化文政の時代の文化、いわゆる化政文化元禄文化のような豪華なものではなく、庶民の文化でした。代表的なところでは葛飾北斎の『富岳三十六景』、歌川広重の『東海道五十三次』、美人画喜多川歌麿、独創的な役者絵を生み出した東洲斎写楽、覚えておきましょう」
と、そんな調子だったに違いありません。こんな素っ気なさでは子どもたちに入るべきものも入って行きません。やはり教師が興味を持ってこそ、熱っぽく語ってこそ、子どもたちもついてくるものです。
 大のおとなが好奇心に溢れ、探究心の赴くままに調べ、手に入った知識に興奮して語る――そうした教師の姿こそ、子どもにとって最大の学習環境であるに違いありません。

 ただしこのことをもって不勉強だった30年近く昔の私を、責める気にはなれません。北斎のことも、印象派のことも、桜田門外の変のことも東アジアの政治問題も、みんな退職してのち、時間がたっぷりとれるようになってから学んだことだからです。
 いかに30年近く前とはいえ当時の中学校教師もかなり忙しく、おまけに子育ての真っ最中でしたから、とてもではありませんが現在のような勉強はできなかったのです。

 学問というのは寄り道の多い世界です。だからたっぷり時間が必要なのです。大昔の教師は時間がありましたから夏目漱石も島木赤彦も、石川啄木宮沢賢治も、皆、教師をする傍ら文学の腕を磨きました。しかし現代では教職を続けながら学問も続けるなど、考えることすらできません(あ、俵万智さんは高校教師だったか――)。

 もともと教員というのは好奇心と探究心の強い人たちです。時間さえあればさまざまに学んできます。せめて教材研究にはたっぷり時間が取れるよう、なんとか取り計らうことはできないものでしょうか?

 

【学習の場としての教室】

 好奇心と探究心に溢れた教師こそ最大の学習環境。だとしたら次に大切な環境は何かというと、子どもたち全員に公平に与えられているものとしては(つまり家庭や親といった要因を外すとすれば)、学校あるいは教室という空間そのものが考えられます。

 私は教師となって初めて担任したクラスがうまく行かず、そのとき学年主任に連れられて教室巡りをしたことがあります。教科担任として行き慣れたクラスもあったのに、意図して見るとそれぞれの教室にはたくさんの「学習を支えるための道具」があるのです。
 例えば標語。
「和顔愛語(わがんあいご)」と掲げられていれば「穏やかな表情と心優しい言葉を大切にしましょう」といった担任の願いが伝わってきますし、「蓬生麻中、不扶而直(よもぎ まちゅうに しょうずれば たすけずしてなおし)」とあればみんなで頑張ろうという気合が伝わってきます(*)。「一期一会」と書いてその時々を大切にしようと訴えているクラスもあります。
kite-cafe.hatenablog.com 詩や短文を掲示しているクラスもありました。金子みすゞの「みんなちがって みんないい」、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」、ナポレオン・ヒル「信念の詩」、サムエル・ウルマン「青春」、そのあたりが定番です。

 窓辺にプランターがいくつも並べてられていて、植物を育てているクラスもあるのですが、花を植えるかミニトマトを植えるかではなにか目指すものに違いがありそうです。

 数学科の先生がご自身で描いた大きな油絵を飾っている教室がありました。専門バカではいけないという教示なのでしょうか? いろいろできると楽しいぞ、ということなのかもしれません。

 後ろの入り口のすぐ横に、ちょうど職員室にあるのとそっくりな氏名札を用意しているクラスがありました。朝、登校したときにひっくり返し、下校の時にまた返すあれです。これには驚きました。どういう意図があってのことでしょう? 聞いておけばよかったですね。

 それぞれのクラスにはそれぞれの、学習をするための、あるいは仲間づくりのための様々な工夫があったのです。私の言う「学校のアカデミズム」の匂う工夫です。
 殺風景な私の教室ではうまく行かないわけです。

(この稿、続く)