カイト・カフェ

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「王様の耳はロバの耳! 字が汚くて許されるのはブサイクだけだ!」~美しい文字を子どもの財産として残すために①

 なぜ、字の下手はあそこまでひとをがっかりさせ、
 字の上手いは、あそこまでひとを過大評価させるのか。
 しかも字は箸使いと違って、
 書けば書くほど下手になっていくような気もする。なぜだ?
という話。(写真:フォトAC)

【大女優宮沢りえの大きな失態】

 宮沢りえという俳優は今でこそ大物感・重鎮感のある女優さんで、いつか大スターと呼ばれる存在になるかもしれませんが、私生活ではこれまで長く、《時代のトリックスター》でした。
 
 1988年に弱冠15歳で映画『ぼくらの七日間戦争』で主演デビューし、日本アカデミー賞新人賞を受賞したと思ったら、翌年1989年には16歳で紅白歌合戦に初出演。本人の希望で紅組初の会場外中継でした。格別の扱いです。
 人気絶頂の18歳でオールヌードの写真集を発売して150万部の大ベストセラーを記録すると、翌1992年、当時飛ぶ鳥の勢いで関脇にのぼり、幕内優勝を二度も果たした貴乃花光司氏(後の横綱)と婚約。なのにわずか2カ月後、貴乃花大関昇進が決まった直後に婚約解消をして世間を驚かせます。
 女優としてはその後も着々と実績を積み上げましたが、2009年に妊娠6カ月であることを発表、そのあと婚姻届を提出して女の子を生んだものの3年目あたりから離婚報道が出始め、2016年に正式離婚。離婚前からさまざまに浮名を流し続けましたが2018年、6歳年下でジャーニーズ、V6のメンバー森田剛氏と再婚。まさにジェット・コースターのような半生です。
 ところがこの方、こうした激しい経歴にも関わらず、まったく本筋から外れたトボケたところで、私たちに大きなショックを与えたことがあります。それは、
「離婚発表の際にマスコミ各社に送ったファックスの署名が、あまりにも下手」
という問題です。

 当時あまりにも騒がれたためか2年後の2018年、森田剛氏と再婚する際にはずいぶんとしっかりとした署名を書くようになって、それはそれでまた騒がれました。
*1
 しかし言って見ればこれは宮沢りえさんが美人の大女優だったから起こった騒動で、ブサイクを売り物にしている女芸人だったら、字が下手でも何の問題もなく通過してしまったかもしれません。いや、絶対にそうでしょう。

【字が汚くて許されるのはブサイクだけ】

「字が汚くて許されるのはブサイクだけ」
 そう公言することがセクハラやパワハラに当たるなら黙ります。しかし黙るだけで腹の中は一緒です。私自身が黙っていることに耐えられなくなったら、裏山にのぼって穴を掘り、こう叫ぶだけです。
「王様の耳はロバの耳! 字が汚くて許されるのはブサイクだけだ!」

 実際、ネットで「字のうまい芸能人・下手な芸能人」といったサイト(*2)を検索して、そこで取り上げられた人たちを見てみると、例えば中谷美紀さんや松嶋菜々子さん、吉永小百合さんといった美女たちが美しい字を書いても私たちは何も感じません。美しい人が美しい字を書くのは当たり前といった思い込みがあるからです。

 ところが見目麗しい女優さんで恐ろしく字の汚い人がいたりすると、字が美しいかどうかなんて人格とは関係ないと分かっていても、思わず慄然としてしまいます。昔なら「お里が知れる」と出自をあれこれ言われるところです。
 どんな事情で親や関係者がそのことに気がつかなかったのでしょう? ほんとうに誰も気づかないまま、そしてきちんとした指導も受けないまま大人になってしまったのでしょうか? この子、そんな基本的なところに瑕疵があるとしたら、文字以外に不首尾な部分がいっぱいあるのじゃないか、そんなふうに疑わせる話です。
 
 逆に、ゆりやんレトリィバーさんや美容家IKKO氏、若いころの樹木希林女史(*3)たちは字がうまいことで大いに株を上げます。心から感心され、100点の文字に150点の評価が与えられるのです。
《やはりああ見えて、きちんと育てられてきた優秀な人たちなんだ・・・》
 字の上手いは過大評価されるのが普通なのです。

 もっとも宮沢りえさん場合、母親は有名なステージママで、りえさんを芸能人として成功させるためにありとあらゆる努力をしてきた、させてきた人です。その人が単に、努力すべき項目に「美しい文字を書く」というのを入れ忘れただけなのかもしれません。スターになれば当然サインをする機会も増えます、誰も読めないサイン本体は練習するにしても、あて名部分にはありとあらゆる文字が入ってきます、だから基本的な文字はきちんと書けなくてはいけない――と、なぜそこまでは思いつかなかったのでしょう。大スター宮沢りえにとっては大きな瑕疵、ステージママとしては大失態です。

【ペンや鉛筆は使えば使うほど下手になっていく、場合がある】

 日本食がブームとなってから外国人観光客の箸の使い方もうまくなり、今や改めて彼らの箸使いを誉める人などいません。それに連れて私たち日本人の中でも、箸の持ち方の変な人は極端に減ってきています。
 豊かになって美しく食べることが重要視されるようになったこと、そしてなんといっても優秀なトレーニング箸・矯正箸が出回るようになったからでしょう。私の娘と息子のころは使いませんでしたが、二人の孫はこれで箸を覚えました。
 
 最初にトレーニング箸を使って正しい使い方を覚え、次第に補助をはずしていつか特別な用具なしに正しい箸の使い方ができるようになる――それが手順です。
 だとしたら同じように、鉛筆やペンも使い初めのころ、何らかの補助器具を使って正しい筆記用具の持ち方・使い方を学び、練習を重ねて次第に補助を減らしていけば、いつかは正しい、美しい文字が書けるようになる――それが道理でしょう。
 ところが箸の場合とは違って、鉛筆やペンの方は繰り返しやればやるほど下手になっていく、そういうことがありそうな気がします。私がそうでした。
 いったいなぜそうなのでしょう?
(この稿、続く)

*1:

*2:

newsee-media.com

*3:
《若いころ》と限定したのは年を取ってからはすっかり人格者あつかいでしたから、字が美しくても不思議がないと思われたからです。