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「さまざまな年賀状、そして年賀状じまいの無礼MEN3人衆の話」~年賀状のシーズンが終わる②

 年賀状はその表現方法を見ているだけでも楽しい。
 写真好きに文章好き、そして既製品の上手な使い手。
 さて、今年も年賀状じまいの申し出があった。しかしこれ、
 扱い方を間違うと、とんでもなく無礼な場合もあるのだが――、
という話。
(写真:SuperT)

【写真派か文章派か、そして年賀状マウント】

 おそらく世の中には私のような年賀状好きがたくさんいます。しかも驚くほど楽しんで作っている――。
 ある一群の人々は家族の写真を中心に、皆が元気であることを楽しそうに報せてきます。大きな集合写真をどんと載せてくる人もいれば、家族一人ひとりの最も生き生きとした瞬間をとらえ、小さな写真をちりばめた凝ったデザインで寄こす人もいます。そのひとつひとつにコメントがついている場合もあります。
 私のように写真よりも文という人もいて、一年を振り返った記録のような紙面を作る人がいて、家族の一人ひとりの動静を語る人がいて、あるいは一年に一度の機会を利用して自ら主張したい政治的立場などについて延々と書き連ねてくる方もいます。

 私としては相手の生活や家族の様子が分かる賀状が好きなのですが、頑として家族に触れない立場を貫き通している人もいます。そのうちの一人が30年余り前に語ったことを今も覚えているのですが、
「世の中には子どもが欲しくてもできない人もいる。だからオレは家族――特に子どもを載せた年賀状は絶対に送らないでおこうと思う」
とのことでした。それも節操です。

 最近は「年賀状マウント」といった言葉まであるみたいで、平和で安定した家族を誇ったり、配偶者や子どもの高学歴をさりげなく自慢したり、新築の住宅の写真を載せて豊かさを匂わせたりと、年賀状を使ってマウントを取ろうとする人が大勢いるとか言われています。しかしどうでしょう。そこまで意地の悪い人がそれほどいるのか――。ただ近況を報せたい、なんとかうまく生きていますと伝えたい、そんなところだと思うのですがどうでしょう?
 もっとも「マウントを取られた」と感じる人にはやりきれない状況なのかもしれません。

【既製品を使う人のさまざま】

 何の変哲もないお仕着せの印刷をした、市販の年賀状を送ってくる人もいます。しかしその中身は千差万別で、《もしかしたらこの人、短い文でびしっと表現することによほどの自信があって、こうした形式を選んでいるのではないか》と思わせるような優れたものがいくらでもあります。
 しかし逆に、わざわざ余白部分のたっぷりあるデザインを選択して、そこにびっしり手書きで近況を書き込んでくる人もいたりして、《この人、年賀状にどれだけエネルギーを注ぎ込んでいるんだ?》とホトホト感心させられたりすることもあります。
 さらに、ありふれたデザインにひとことの添え書きもない年賀状を見ると、それはそれで妙に感心したりします。これを出し続けるのも、ある意味しんどいよな、といった思いです。

【届いた2通の年賀状じまい】

 今年もまた、これで年賀状はやめたいという「年賀状じまい」の申し出が2件ありました。
 ひとりは高校時代からの友人で、10年ほど前に大病をしてからは年賀状のような時間のかかる作業は辛かったのかもしれません。大病をしたくせに酒をこよなく愛し、2カ月に一度は一緒に飲む機会がありますから、年賀状のつながりがなくなっても一向にかまわない相手ではあります。
 しかしもう一人は私が最も尊敬する先輩のひとりで、「もう八十歳代も半ばなので遠慮したい」と書かれると無理強いはできないものの、一年に一遍くらいは私のことを思い出して、見守っていただきたい人なので困っています。

 実はいま私の手元にある年賀状のほぼすべては、そんなふうに私が見守っていただきたい人と、見続けていたい人たちなのです。その人たちから切られるのは、やはり切ない。
 今後、どうしていくか、今のうちから考えておきたいと思います。

【3人の無礼MENの話】

 ついでですが、年賀状じまいには嫌な記憶が何回かあります。
 ひとつは従兄が携帯のショートメールで寄こしたもので、
「ご無沙汰しています。元気ですか。今年からお互いの年賀状のやりとりは、やらないということで、よろしくお願いします」
という素っ気なさ。お前が辞めるのは勝手だが、オレが出さないことまで決めるな、というのが私の不機嫌の理由です。
 
 二つ目は私の実弟
 数年前、年賀状に返事がなく、さらに実家の母を通して届けたはずの姪へのお年玉にも《受け取った》の一言もないので、苛立って問い合わせると、
「今年から、はがきの年賀状は大切な人だけにして、あとはLINEのメッセージで送ることにした。ゴメン、ゴメン」
とのこと。そこで、
「大切な人にははがき、そうでない人にはLINE。そうなると何ももらえないオレはどうなるんだ? けっこう大きなお年玉も渡したはずだが――」
 そう言って電話を切ると、大急ぎで娘ともども直接新年の挨拶に来ました。
 
 三番目は、最後に勤めていた学校での後輩。
 在職中から3年ほど年賀状のやり取りがあり、その後こちらが切られる形で3年ほどまったくやり取りがなかったところに突然、年賀状じまいの通知が来たのです。まるで、
「しばらくやり取りがなかったが、今後も絶対、確実に、100%再開する気がないからそのつもりで」
と嫌がらせの最後通牒をもらったような気分でした。たぶん、つまらないミスだと思うのですが。

 いずれにしろ、さまざまな思惑の動く年賀状じまい。終わりにせずに続けた方が楽だったと思えるくらい、気を遣って行いたいものです。
(この稿、終了)