カイト・カフェ

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「シェイクスピアはなぜ偉いのか」~明日は誕生日・命日

 シェイクスピアが現代の若者にとってどういう存在か
 そのあたりはよくわからないが 絶対に勉強しておくべきだ
 特に英語を学ぶなら シェイクスピアは必須
 なにしろシェイクスピアは偉いのだから
 
という話。

f:id:kite-cafe:20190421151455j:plainジョン・エヴァレット・ミレー 「オフィーリア」 (1851)

【生年没年ともに知っている有名人】

 明日、4月23日はウィリアム・シェイクスピアの命日だそうです(1616年)。
 1564年生まれですので「人殺し(1564)に生まれて、いろいろ(1616)やって死んだ」と覚えやすいので、私にとっては生年没年ともに知る唯一の有名人ということで以前お話したことがあります。もっとも命日が4月23日だということは今回、初めて知りました。

 シェイクスピアは誕生日も4月23日だそうですから、これからは私にとって「生年月日、没年月日すべてを知る有名人」ということになります。
 ただし誕生日の4月23日はけっこう怪しく、命日に合わせてそう決めたのではないかという説もあるようです。

 シェイクスピアの生きた時代を日本に対照すると、数次によって行われた「川中島の戦い」の最後の回(第5次)が行われた年に生まれ、豊臣家が滅びた「大阪夏の陣」の翌年に亡くなったことになります。そういう言い方をするとなんとなく時代が分かってきます。
 南蛮貿易より後の時代ですから、シェイクスピアにも日本に関する何らかの知識があったのかもしれません。

 父親は成功した皮手袋商人で、市会議員を務めた上で市長にもなった名士だったようです。ただしその祖先は名前からシェイク(Shake:振る)+スピア(spear:やり)+(r)だから「槍を振る人」、つまり「歩兵」だったのではないかという話を聞いたことがあります。しかし一方、これは単なる「棒を振り回す乱暴者」という程度の意味だという話もあれば、その「棒」には卑猥な意味があるという話まであって埒が開きません。

 諸説ありますがNHKの「ニッポン人のお名前」によれば、姓はどんなに不自然に見えても必ず良い意味があるという原則があるそうですから、イギリス人なら誰でもわかる卑猥な姓だったとしたら途中で誰かに変えられていたはずです。やはりここは単純に「歩兵」という説に従っていた方がいいかもしれません。

 

 シェイクスピアはなぜ偉いのか】

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 しかしいかに傑出した劇作家だったとは言え、シェイクスピアはなぜここまでもてはやされるのでしょう?
 それには相応の理由があります。

 シェイクスピアの今日的業績というとその最大のものは「現代英語の成立に多大な影響を与えた」ということにつきます。俗に言われるのをそのまま借りると、「現代英語からシェイクスピアと聖書を除くと、その表現は半分以下に減ってしまう」そうです。

 例えば「『恋は盲目』って言うじゃないですか」と言った瞬間、その人はシェイクスピアの「ベニスの商人」を引き合いにしていることになります。

「この世は舞台、人はみな役者だ」と気取って言う人は、知らないうちに『お気に召すまま』の台詞をそのまま使っています。

「『弱き者、汝の名は女』というから、やっぱ女性は大切にしなくちゃ」は「ハムレット」からの引用ですが使い方は違っています。
 母親が、夫の死後間もなく夫の弟と結婚してしまったことを嘆いて言う言葉ですから、「女とはなんと心弱いものか、すぐに心変わりしてしまう」といった意味です。女性を大切にするというよりは、半ば呆れ半ば絶望して使う言葉です。

 他にも「終わり良ければ総て良し」だとか「身の毛もよだつ」とか、あるいは批判的な(critical)という単語も、シェイクスピアの発明だと言われています。

 ハムレットと言えばすぐに出てくる「生きるべきか死すべきか、それが問題だ」は、英語の苦手な私ですら原語で言えたりします(To be, or not to be: that is the question)。あまりにも有名過ぎて、欧米では誰でもこれをやりたがり、どんなに下手な役者でもそれだけは何とかサマになる――そこから西洋では下手な役者のことを「ハム役者(ham actor)」と呼ぶそうです。

 日本では「(何と食べ合わせても)絶対に当たらない」「すぐに下ろされてしまう」というところから下手な役者を「大根」と言い、西洋では「ハム」という、なかなか面白い取り合わせです。

 

【日本におけるシェイクスピア

 シェイクスピアと言えば私が若いころ、東京で「シェイクスピアシアター」という劇団が全37作完全上演という試みに挑戦していて、私も何回か観に行ったことがあります。小田島雄志さんの軽妙な脚本を使って、舞台衣装も大仰な中世のものではなく、ジーパンに私服という挑戦的な演劇でチケットもかなり取りにくかったように覚えています。

 当時は小劇場全盛で若い人は誰も古典劇など観に行かなかったのに、シェイクスピアだけ特別だったのにはそうした事情がありました。

 さらにちょうど同じ時期――というかそれより少し前に映画の「ロミオとジュリエット」がヒットし、映画自体は大したものではなかったのですが、ニーノ・ロータの音楽が素晴らしく、ジュリエット役のオリビア・ハッセーが信じられないくらいの美少女で、日本中の若者の目が眩んだとのも理由のひとつかもしれません。

 私はずいぶん長いこと、この「ロミオとジュリエット」もシェイクスピアの四大悲劇のひとつだと思い込んでいました。しかし違います。
 考えてみれば大人の事情も考えないガキのカップルが浅はかな計略に乗って失敗し、ともに死んでしまう話です。悲劇というには土台となるものが軽薄すぎます。教師になってから実感をもってそんなふうに考えるようになりました。

 四大悲劇と言えば「ハムレット」「マクベス」「リア王」「オセロ」。
 現代の子どもは「オセロ」と聞けば白黒の丸い駒を使うボードゲームしか思いつかないので、目を白黒させるかもしれなません。この際、「黒人の将軍と白人の美貌の妻の話だ」くらいは教えておきましょう。ちなみにオセロゲームは日本人の発明だと言われています。

 今回、改めて調べてみて、シェイクスピアが18歳の時に結婚した8歳年上の女性がアン・ハサウェイという名だと知りました。もしかした40年以上前にシェイクスピアについてあれこれ調べていた時にも目に入ったのかもしれませんが、同姓同名の女優さんの活躍する「プラダを着た悪魔」は2006年の映画ですから、当時はまったく引っかからず通り過ぎてしまったのかもしれません。
 偶然とはいえ、400年も経ってから奥様と同姓同名の役者さんが世界を相手に大活躍するなんて、やはりシェイクスピアはただものではありません。

 イギリスの文豪、世界の劇作家ウィリアム・シェイクスピア――機会があるようでしたら子どもたちにもちょっと紹介してやってください、

 

【追記――やりきれないこと】

 昨日、本記事「シェイクスピアはなぜ偉いのか」を予約投稿して今朝確認したところ、その関連記事として『2018.04.23「シェイクスピアの命日」〜文豪に関するウンチク、あれこれ』が上がっていました。
 内容を見ると今回と9割方そっくりで、ジョン・ミレーの「オフィーリア」まで一緒です。
「オフィーリア」には何か記憶があって引っかかったのですが、昔から好きな絵ですのでこだわらずに使ったのですが、今から考えるとここにアップしたわけです。

 わずか一年前に同じような記事を書いていたとは!
 耄碌も極まれり!

 先週末から東京と兵庫で80歳代と60歳代の男性による重大な交通事故が2件続いています。文章で人を殺すことはそうはありませんからまだしもですが、本当にがっかりしています。
 子どものころ付き合っていた女の子の口癖を借りれば、
「舌を噛んで死にたい気持ち」
です。

 嗚呼!