私の半分以下の年齢だ。
それに比べて自分は何をして来たんだとずっと思っていたが、
いまは少し落ち着いていられる。
という話。
(写真:フォトAC)
【昨日・今日・明日に亡くなった人たち】
49歳――。
罪滅ぼしみたいな気持ちもあってWikiで調べると、昨日が命日の有名人(私の知っている範囲で)は次のようになります。
1641年―ヴァン・ダイク、画家(42歳)
1806年-5代目市川團十郎、歌舞伎役者(65歳)
1989年―開高健、作家(59歳)
2014年―堀内護、ガロのメンバー(65歳)
2015年―野坂昭如、作家・作詞家(85歳)
私としては最後の野坂昭如に至ってホッとします。
ついでですので今日(10日)が命日の人も列挙しましょう。
1867年―坂本龍馬、幕末の志士(31歳)
1896年―アルフレッド・ノーベル、化学者(63歳)。だから今日が授賞式。
1967年―オーティス・レディング、名曲「ドック・オブ・ベイ」の歌手(26歳)、航空機事故。
1991年―山本七平、評論家(69歳)
2011年―市川森一、脚本家(70歳)
2012年―小沢昭一、俳優(83歳)
2013年―ジム・ホール、ジャズギタリスト(83歳)
私より年上が5人いますが、うち二人は近接です。
さらに明日(11日)まで調べると、
1950年―長岡半太郎、物理学者(85歳)
1992年―岸洋子、歌手(57歳)
11日には知っている人があまりいませんでしたが1勝1敗――失礼、勝ち負けの問題ではありませんよね。
【馬齢を重ねてここまで来た】
ムダに齢を取ることを「馬齢を重ねる」と言います。
なぜ馬なのかは分かりませんが、競走馬などを見ていると、活躍できる年齢よりも後の年数の方がずっと長いですからそういうことなのかもしれません。
それにしても坂本龍馬31歳、オーティス・レディング26歳を見ると、それぞれ暗殺だった事故死だったりするにしてもへこみます。私はその年齢の2倍以上生きてなお、歴史のどこにも業績を残していないのですから。
特に竜馬の31歳にはこだわりがあって、私はほぼ同じ年齢の時に教員になり、ようやく腹を括って人生を送ろうとし始めていたのです。大事を果たして死ぬのとではたいへんな違いです。このことにはずっと引っかかっていて、このブログでも繰り返し扱っています。
例えば、
(吉田松陰は)1830年生まれで1859年刑死、享年29歳でした。私自身の29歳を思うと、暗澹たる気持ちになります。
ちなみに高杉晋作は享年28歳、坂本竜馬は31歳、久坂玄瑞24歳、橋本左内は25歳で死んでいます。
ついでに大政奉還のあった1867年、歴史の偉人たちが何歳であったかを調べたら次のような結果でした。
木戸孝允34歳
江藤新平33歳
後藤象二郎29歳
福沢諭吉32歳
伊藤博文26歳
一橋慶喜30歳。
そうとうに高齢だった印象のある西郷隆盛ですら39歳。
大久保利通が37歳。
幕府方の立役者である勝海舟は44歳、
朝廷の岩倉具視は42歳です。
kite-cafe.hatenablog.com
明治維新というのは、私たちの世代で言えば全共闘、現代で言えば香港やタイの民主派青年のもとに突然政権が転がり込んだようなものですから討幕側が若かったのは理解できます。しかし一橋慶喜の30歳や勝海舟の44歳、岩倉具視の42歳にはやはり驚かされます。
【無事、これ、名馬】
大事を成して若く死ぬのと何事も成し遂げずに長生きするのと、どちらに価値があるのかは意外と議論の対象になるのかもしれません。
生きていること自体が価値、存在すること自体が価値ということだってある――そんなふうに思えるようになってきているのです。
何も成さずに死んで行くのも悪くない――。
「無事、これ、名馬」と言うでしょ?
アレ?また馬だ。
そう言えば竜馬も馬でした。