カイト・カフェ

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「元号が変わると世界が変わる」~新元号が発表されたことに寄せて 2

元号が「令和」と決まり 多くの人々から歓迎の声が上がっている
しかし一方で 
元号なんて面倒くさいことをやっているのは日本だけ」
元号が変わったところで何も変わったりはしない」
という人がいる
しかし私はそうは思わない 
という話。

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 元号をなくしてはいけない】

「そんなことをやっているのは日本(人)だけ」という言い方で非難されることがあれば、私は反射的に「それは続けるべきことだ」と考える癖がついています。ですから
元号なんて面倒くさいことをやっているのは日本だけ」
と言われれば、とりあえず「何が何でも元号はなくしてはならない」という地点から考えを進めようとします。

 もしかしたら日本人を日本人たらしめている原因のひとつが「元号」なのかもしれないのです。安易に廃止してはいけません。

 さらに元号を廃止してしまった場合、まさか金日成の誕生年に由来する主体暦預言者ムハンマドイスラム暦を使うことはないでしょうから、必然的に選択できるのは西暦くらいしかなくなります。しかしこれもイエス・キリストの生誕年に由来することを考えると、クリスチャンでない私には素直になれないところです。
 西暦は外国との交易の上で便利かもませんが、簡単に乗り換えていい話ではないでしょう。

 また長く歴史をいじってきた者として、
元号が変わったところで何も変わったりはしない」
という意見にもなかなか与しがたいところがあります。
 

元号は人々の気分を一斉に変える】

 日本語には言霊(ことだま)というものがあります。ですから元号が変わると日本は変わってしまうように思っているのです。

 手近なところで言えば今回の改元に際して若い女の子が、
「これまで『昭和』とか言ってバカにしてきたのに、これからは『平成』っていう古い人の仲間になっちゃう」
と言っていたことがそれを予感させます。

 また私の友人の息子は、ツイッター上でこんなことを呟いています。
 昭和の生まれでまだ未婚なので令和になる事で平成、令和生まれの方達に凄く昔の人だと思われて、より婚期が遅れるのではないかと恐怖を感じています。
 もちろん半分は冗談でしょうが、大きく的を外しているわけではありません。

 元号が変わるということは世界そのものが変わることにつながっているのです。

改元は時代を変えた】

 それについてはこれまでも何度も書いてきました。
 例えば、

kite-cafe.hatenablog.com
では、「明治」「大正」「昭和」にはそれぞれの目標と時代を覆う雰囲気があり、元号が変わるとすっかり変わってしまうというお話をしました。

 私の実体験で言えば、「昭和」である間は誰も自衛隊の海外派遣など考えませんでした。頭の隅にも浮かばなかったのです。
 憲法が改正しうるものだということも、もちろん法律上のことは知っていましたが、まったく可能性のないことのように思っていました。口にすることさえ罪悪のように感じていたのです。

 経済的には、株も土地も給与も一直線に上がり続け、勢いは衰えることがない。NTT株は放っておいても一株400万円、500万円と上がっていく、単純にそう信じられたのが昭和なのです。
 ところが、「平成」の言葉を聞いたとたんに一切が変わってしまった――。

 細かなことで言えば、死語だったはずの「デフレーション」が日常会話で繰り返されるようになり、昭和時代には常識だった「若者の活字離れ」が覆され、子どもたちは暇さえあれば文字を読み、果てしなく打ち続ける日が来ました。
 高級ラウンジやディスコで飲んだり踊ったりしていた学生たちが、居酒屋でチューハイを傾けるようになったのです。
 そんなこと、誰も考えませんでした。

【変化は心理的な側面だけではない】

 昭和天皇崩御された平成元年(1989年)は、手塚治虫美空ひばりという二つの巨星が落ちた年です。

「女子高生コンクリート詰め殺人事件」「連続幼女誘拐殺人事件(宮崎勤事件)」という、その後の少年犯罪の原点となるような大事件の起きたのもこの年です。
 そして当時は表に出てきませんでしたが、オウム真理教が最初の殺人に手を染め、坂本弁護士一家を殺害したのもこの年です。

 海外では6月に「天安門事件」が起こって、中国はいわゆる“民主化を伴わない経済成長”の道を歩み始めます。しかし何といっても平成元年最大の事件は、ベルリンの壁が崩壊し、一連の東欧革命が進んだことです。東欧革命と呼ばれる一連の政変が続き、ついに年末の「マルタ会談」で東西冷戦の終結宣言が発表されます(ソ連崩壊は1991年)。
 平成の声を聞くとともに、世界の一切が変わってしまったのです。

【明治も大正も昭和の始まりもそうだった】

 改元による歴史の大きな変化というのは昭和以前もありました。
 明治の最大の目標「不平等条約を改正して欧米と肩を並べる」は明治44年、関税自主権回復によって成し遂げられます。明治天皇は目標達成を見届けたかのように翌年崩御し、明治時代は終わります。
 大正デモクラシーの発端である第一次護憲運動大正元年のできごとです。その最大の成果である普通選挙法の制定は大正14年で、その翌年の12月25日に天皇崩御して大正時代が終わります。
 昭和元年は一週間しかありませんでしたから実質的な元年は昭和2年なのですが、その3月、金融恐慌が始まって時代は一気に暗黒の昭和前史に突き進みます。

 元号が変わると、この国はまったく違ったものになってしまいます。
 

【では、令和は?】

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 では次の「令和」はどんな時代になって行くのか――。それについては、既にいくつかの予兆があるように思うのです。

 今回の元号万葉集から採ったということにも、ひとつのヒントがあります。中国の文化的呪縛から一歩身を引こうという意思です。

 あるいは、ここのところ日韓関係は史上最悪と言われていますが、原因のひとつは日本政府および国民・マスメディアがいつになく強硬な態度であとに引かないからです。それも予兆でしょう。
 「令和」の世になれば「昭和」はふた昔前の時代となります。前代の罪は引き継いでもいいが2代前までは背負いきれない――そんなふうに人々が思い始めるのも自然の成り行きでしょう。内外で戦時中に生きていた人たちが全員いなくなっても、私たちは第二次世界大戦の責任を担い続けることができるでしょうか?

 「令和」がどんな時代になるのか他にも心当たりはありますが、それはおいおいお話していくことにしましょう。