国立西洋美術館の「北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」と東京国立博物館の特別展「運慶」を観てきました。
北斎を先に、運慶は後から回ったのですが特別展「運慶」の最終日(11月26日《日》)が迫っており、検索か何かでこのブログに来られた方にとっての何かの参考になればいいと思い、先に「運慶」について触れておきます。
【運慶】
運慶は平安末期から鎌倉初期に活躍した仏師で、特に東大寺南大門の仁王像で知られた人です。今回の特別展「運慶」は、運慶に縁の深い興福寺中金堂が300年ぶりに再建されるのを記念して開催されるもので、運慶と彼にかかわる仏像を全国から集め、一堂に会したものです。
婿のエージュに言わせると「やはり仏像はお寺で(見るもの)でしょ」ということになって、それはその通りなのですが奈良・鎌倉といった行きやすい場所ならともかく、愛知だ、静岡だ、栃木だといった話になるととても回り切れるものではありません。せっかく一か所に集められているのだからとりあえず見に行って、気に入ったら改めて寺院に出向けばいいだけのこと、そう思って出かけました。
私は20代のころはほとんど毎年、30代も中学校教師として2〜3年に1度は修学旅行や下見で奈良・京都を訪れていましたので、そこそこの“奈良通”“京都通”“仏教通”のつもりでいたのですが、そんな私が一番好きな仏像は奈良薬師寺の薬師三尊像、続いて東大寺戒壇院の四天王、同じく三月堂の日光・月光、新薬師寺の十二神将といったところです。つまりいずれも天平・白鳳期の仏像で、運慶よりずっと以前のものなのです。
それらは不安定な時代の切実な信仰の対象で、多くの人々がその前にひれ伏し、平和と安寧を懇願した仏たちです。その足元に取りすがる人々の姿をありありと思い浮かべることができます。
ところが運慶たちの時代の仏像はちょっと違った印象を与えます。
それは仏像ひとつひとつが信仰の対象というより、多く集まって全体でひとつの仏教世界、その世界観を表現しているといった感じなのです。だからフルセットというかオール・キャストなのです。
中心に如来像を置き、左右に菩薩を配し、四隅を四天王で押さえて――と、そこまでは奈良仏教と同じなのですが、周辺には八部衆やら十二神将やら、明王や大王や鬼やら、その宗派のルールに従って整然とというか雑然とというか(整然と雑然は全然ちがうな)置かれている感じなのです。
だからひとつひとつはとてもユニークで、面白い。失礼な言い方をすると、ポケモンのキャラクター図鑑を見ているように鑑賞できるのです。
【鎌倉仏の私流見方】
例えば今回も出品されていた「天燈鬼」「龍燈鬼」。
もともとは四天王の足元に組み伏せられていた鬼が自立した像となったものらしいのですが、ヤンチャを働いた挙句、如来から燈籠役を命ぜられ、手のひらに乗せられた天燈鬼は激しく抵抗を続けるも、頭にのせられた龍燈鬼の方はすっかり諦め、腕を組んで恨めし気に頭の上の燈籠を見上げている――それは私の勝手な想像で由来について何の知識もないのですが、鎌倉の仏像たちにはいちいちそんな空想を掻き立てる面白さがありるのです。
興福寺南円堂の四天王像、和歌山金剛峯寺の八大童子、静岡・願成就院の毘沙門天立像――どうれもこれも大変にリアルで、しかしよく考えてみるとこんな顔をした人も、こんな体つきをした人間もいるはずはありません。
もっとも現実味のある無著・世親立像にしても、等身大でもなければ反り返って見上げるほどでもない2mという中途半端な身長。
八大童子はもちろん、東京国立博物館と静嘉堂文庫美術館に分けて所蔵される「(京都浄瑠璃寺伝来)十二神将立像」の一人ひとりにの顔に、かつて教えた児童生徒のそれを取っ替え引っ替え重ね合わせ正解を探すのも面白い鑑賞でした。
そういえば奈良国立博物館蔵の重源上人座像は、むかし勤めたことのある学校の校長先生にそっくりでした。
他にも京都高山寺の子犬など、何の目的でこんなものを作ったのだろうと微笑みたくなるほど可愛い像もあったりします。
【特別展「運慶」概要】
特別展「運慶」は日曜日(11月26日)まで。
場所は上野・東京国立博物館平成館(本館の左奥)。
開館時間は9:30〜21:00(11月22日〜26日の特別開館。ただし入場は閉館の30分前まで)です。
最終日間近ですから参考にならないかもしれませんが、日中は12時30分付近、夕方は17時以降だと入りやすいかもしれません。私は12時20分に列に並びましたが「30分待ち」の表示であるにも関わらず12〜13分で入場できました。ただし中は大変な混雑。
チケット売り場にも列ができますからインターネット・サイト「運慶」でオンライン・チケットを購入し、家庭でプリントアウトするかスマホ表示にするとその分、早く進めます。私はプリントアウトを持っていきました。