先週の月曜日(11月8日)、札幌市のすすきのからタクシーに乗った男が、道が違うと言って暴れ出し、運転席や防犯ボードを壊したあげく料金も払わず立ち去ったという事件が話題になっています。
そのときの激しいやりとりが車載カメラの映像として残っていたため評判になり、その後いったん消えましたが、先週末になってどうやら30代の弁護士の仕業だったらしいということになって今週、改めて話題となっているのです。
この事件に関するニュース・バラエティのコメンテーターの口ぶりは、どれもこれも似たり寄ったりです。
「代議士や弁護士などいわゆる『士業』と呼ばれている人たちは、いつも『先生』『先生』と呼ばれているうちに、何か自分が偉くなったように勘違いしてしまうんですよね」
とか、
「法律の専門家が、こういうことをやっちゃあイカンということが分からないのでしょうかね?」
といった調子。
その一方で、
「こんな人いる?」
「何か異常ですよね」
「そんなに酔っぱらっているというわけでもないのに――」
と、事態の異常性に気づいた発言もあるわけで、そうなるとこれが「士業」と呼ばれる人たちにはよくある、いわゆる「あるある話」の類なのか、あるいは極めて特殊な話なのか、よくわからなくなってしまいます。けれどだからといってこうした問題の本質を、改めて掘り下げようという番組も出てきません。
ただ嘆いているだけです。
【本当は何があったのか】
私は一連の防犯ビデオの最後の場面に注目します。
それは男が金も払わず車外に出て、その場を立ち去る直前にスマートフォンを投げつける場面です。
普通、そんなことしますか?
スマートフォンの価値は買ったときの値段ではありません。そこには個人情報もあれば大切な写真もあります。依頼者からのメールを受けとる必要もあれば、公私ともに複数あるLINEグループでのやり取りのためにも大切です。
もしかしたら明日の市場開始とともに一番で売らなければならない株があるかもしれません。午前中に確実に送金しなけれ事務所の存否にかかわる契約もあるかもしれません。
そんな厄介な問題ではなく、通勤のために地下鉄にも乗れない、彼女からの伝言も答えられないといった目の前の困難にもすぐにも直面するかもしれません。
いまや普通の30代はスマホなしには仕事も生活もできないのです。
事実この男も、タクシーに乗り込んで「北三東五」と行き先を言ったあとはスマートフォンにくぎ付けで、ドライバーが「北三東七」と間違った復唱をしたのにも気づきません。そのくらい夢中になって操作しているのです。
そんなに大切なスマホ、投げるはずのないスマホを投げてしまうところに、この人の癒しがたい性格があります。一度スイッチが入ると止まらないのです。どんな大切なもでも平気で壊してしまう、スマートフォンも壊してしまう、自分の立場も壊してしまう、経歴も、評判も、信用も――。
【新奇なこと、思っていたことと違うことに対応ができない】
しかしそもそも、弁護士はなぜドライバーが道を間違えたくらいであんなに怒ったのでしょう。
同僚の間では「真面目できちんとした」という定評のある弁護士が、スマートフォンから顔を上げて自分の思っていた道と違うところを走っていると気づいたとたん、怒り出して留まるところを知らない、怒りかたが尋常ではない――。
昔、私はそういう男――というかそういう男の子をひとり知っていたのです。いつも渡る横断歩道が工事中で渡れない日、「なんでこんなところで工事をやるんだ!」と関係者に悪態をついて通報のあった子です。わずか40〜50m先の横断歩道を渡れば何の問題もないのに、いつものその場所でなければだめなのです。怖かったのです。
いつもの通りのことができない、まったく未経験のことをしなければならない、その恐ろしさに、おそらく半分はパニックに陥っていたのです。
話題となっている“弁護士”がその子と同じだという確証があるわけではありません。しかし世の中には、自分の思いとは関係なく心や体の動いてしまう人がいるのは確かです。
わずかな状況の変化がどうしようもなく耐え難い、我慢できない、許せない、融通がきかない。
そしていったん怒りに火がつくと、以後はしばらく、まったく制御が効かない、制御するという発想自体が溶け落ちてしまう。
おそらく暴力団関係者や刑務所の中には、統計的に有意に、そういう人たちが多く存在するはずです。もちろん一般社会にもすくなくない。それは代議士や弁護士などいわゆる『士業』と呼ばれている人たちの傲慢といった問題ではなく、極めて個人的な事情です。
【まったく同情できない話でもない】
もちろん裁判になった場合も「心神喪失」の対象にはなりませんし、やったことは「器物損壊」、「暴行」あいるは「暴行致傷」ですから相応の責任は取らなくてはなりません。
すすきのの事件でも、車載カメラの映像を見る限り気の毒なのはタクシードライバーであって、暴言暴行の弁護士の方ではありません。
しかし同情の余地のまったくない話というわけでもありません。この人たちはいつも、まず体が動いてしまってからあとで考え直し、後悔する日々を続けてきたのですから。
くだんの弁護士も、これから多くのものを失います。
コメンテーターや司会者が、
「こんな人いる?」
「何か異常ですよね」
「そんなに酔っぱらっているというわけでもないのに――」
と感じるなら、もう少し掘り下げて取材し、議論し、報道してもよさそうなものですが、番組はいつもみんなで憤り、嘆き合って終わりです。