カイト・カフェ

毎朝、苦みのあるコーヒーを・・・

「独りぼっちの魔女」〜二人の女性の幸福と孤独②

 高速道路でハンドルを5度傾けたまま走れば、いくらも進まないうちにガードレールか側壁にぶつかってしまいます。5度が3度でも、1度でも結果は同じです。わずかその程度の傾きでも大きな事故につながってしまうのです。

 人間の性格とかこだわり・思い込みといったわずかな傾きも、生きる道にそって修正されなければいつか破綻をきたします。特に全力疾走で駆けている人は、周囲の景色を見落とさぬよう、高い緊張感をもってその変化を見つづけなくてはなりません。

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 豊田真由子という女性】

 豊田真由子という代議士はほんとうによく働く頑張り屋さんだったようです(国会議員の“よく働く”という意味がいまひとつ分からないのですが)。
 それはもちろんそうでしょう。
 小学校時代から友だちと遊ぶこともせず勉強ばかりしていた――それが楽しめるだけの優秀な頭脳と良く努力できる強靭な神経が兼ね備えられていたのでしょうね。
 その天分をもって桜蔭中学校桜蔭高等学校へ進学し、東京大学から厚生省へ、そして政治家としての道を歩み続けてきました。

 その間、ボディコンと呼ばれる細身のワンピースを着てジュリアナ東京のお立ち台に上ったり、テレビのクイズ番組に出演して優勝して見せたり、厚生省に入省してからはハーバード大学大学院に国費留学して理学修士となり、結婚し、子どもも二人もうけ、官僚から政治家へと、貴から俗まで、難から易まで、あれもこれもできる、あれもこれも欲しいのだと、普通のひとなら何かを手に入れるために別の何かを諦めるところを、すべてを欲しがってすべて手に入れた、そんな半生のように見受けられます。

 もちろんそのために血の滲むような努力もし、睡眠時間も削って走り回っていたはずです。しかしそんな頭もよく努力もできる超人的な人であっても、ただひとつ乗り越えられないものがあります。
 1日24時間という時間はすべての人間に平等に与えられていて、しかも動物としての私たちは眠らなければならない。どんなに欲深い人間であっても、能力や努力だけでは絶対に越えられない、それが個人の限界です。
 ところが豊田真由子という女性は、とんでもないものを手に入れてしまった。
 それは“権力”という魔法です。

【魔法“権力”】

 “権力”を使えば時間の壁も突破できます。
 自分一人では時間内にできなかったことが、”権力“という魔法を使うとあっという間にできるのです。
 それは例えば、部下に向かって言う「明日までに○○を用意しておきなさい」といった呪文です。そのたった一言で、学生時代なら足を棒にして何日もかけて集めなければならなかった資料が、あっという間に目の前に揃ってくるのです。さらに“部下”もまた優秀な官僚ですから、時には望外なものが手に入ることもあります。
 そうなるとかつて眠らせた欲望も全開になります。時間がない、できないと諦めていたことがすべて可能になってくるーー。

 ただしこの愚かな魔女は重要な三つの原則を忘れていました。
 ひとつは「使える魔法は無限ではない」ということ。部下にも時間的・能力的制約はあります。
 二つ目は「魔法によって手に入れた新しい手足は、それでも本物の手や足ではない」ということ。きちんとした指示と十分な時間を与えないと、想像とはまったく違った結果に陥ることがあります。
 最後に「魔法の手足は裏切ることもある」。これについては説明の必要はないでしょう。

 愚かな魔女は魔法の三原則を忘れていました。だからミスが起こった時はほんとうに切なかったのです。優秀で努力家で本当に素晴らしかった自分が、こんな重大ミスを犯すなどということは、絶対にあってはならなかった、自分の手足はもっと正確に動かなければならない、それなのにこれまでだったら絶対にしなかったミスを、自分の手足がやってしまったーー。

【痛み】

「これ以上、私の支持者を怒らせるな! お前が叩くよりよっぽど痛いよ!!」
(毎日毎日2〜3時間の睡眠で、土日も休まずに働いてきたじゃない、子どもにも家族にも迷惑をかけてきたじゃない、すべて完ぺきだった私があちこち軋むのも我慢して打ち込んできたじゃない、それくらいがんばって支持者を大切にしてきたのに、それなのにオマエはバカみたいなミスでそれを粉々にしてしまった、その痛みは殴る蹴るの比じゃない!心がねじれるように痛いのだ!)
「叩かれる方がよっぽど楽だよ! 叩いていいよ私の事。だから頼むから支持者を怒らせるな!」
「お前が受けてる痛みがなんだ! アタシが受けてる痛みがどれくらいあるか、お前分かるかこの野郎!」

 まるで世界のすべてから切り離され、独りぼっちで責められているかのように、彼女は辛かったのです。

 バースデー・カードの宛名を間違えた程度のミスはいくらでも償うことができる、その程度のことで支援者は政治家を見捨てたりはしない――それが正常な判断です。しかし豊田議員はそんな当たり前のことから、ずいぶんと遠い地平に生きていました。

 ではどこに間違いがあったのか。
 それは遠い遠い昔、「才能と努力で、この世のすべてのものは手に入る」と思い込んだその時からです。
「そんなことはない。ひとは何かを手に入れるためには別の何かを諦めなくてはならない」
 そう教えてくれる人はたくさんいたはずですが、彼女は耳も貸さず、すべてを力で押し切ってきました。

【魔女の最後】

 高速道路でハンドルを5度傾けるだけで、車はガードレールにぶつかってしまうのです。周囲の見えない人は、そうした間違いにも気づく機会がなかったのかもしれません。
 あんな録音が出てきた以上、東大卒もハーバード大学院も、元官僚も国会議員もすべて悪名を飾る色褪せた装飾品にしかなりません。ただの小母さんにも戻れないのです。

 先週、「幸福の王女」はたくさん幸福を人々の心の中に残したまま、肉体的には滅びました。そして同じ時期、「独りぼっちの魔女」はすべてを失って社会的には死んでいったのです。

 二人を並べて考えるのは、どちらにとって気の毒なのか、よく分からない話になってしまいました。

(終わり)