菅政権の支持率低下が止まらない。
オリンピックは強硬開催、ワクチン接種も拙速だとマスコミは叩き続ける。
しかし菅政権を廃して誰かを押そうとする気配もない。
ただ潰れればいいということなのだろうか?
という話。
(写真:フォトAC)
【カフカの主人公、マスコミの人々】
フランツ・カフカは死の床にあった40歳のとき、友人に自分の死後、草稿やノートは一切焼却処分するよう頼んで亡くなりました。しかし友人は自らの信念に従って原稿を保管し、整理して次々と出版してしまいます。おかげで私たちは今でもカフカの名作を手にすることができるわけです。
なぜカフカが原稿の焼却を指示したのか、これにはさまざまな説があるようですが、ひとつには彼の小説が体制に寄り添わないために不幸になる主人公を多く描いており、死後、間違った読み方をされるのを恐れたためだと言われています。
主人公のひとりは組織に属する生活を面倒くさがったために朝起きると虫になっていますし(「変身」)、別のひとりはいつの間にか体制からはじき出されて石切り場で犬のように殺されます(「審判」)。またさらに別のひとりは体制にあこがれ、その内部に入ろうと大変な苦労をしますが最後まで行きつくことはありません(「城」)。
マスコミの重要な仕事のひとつは権力のチェックです。
特に日本では第二次世界大戦中、マスコミが積極的に権力に加担したという心の傷を負っていますから、政府のやることのいちいちに厳しい目を向けています。その意味では体制に決してなびかない人々、カフカの主人公たちとは対極にいる人々と言えます。
しかし世の中のすべての問題は程度の問題です。
体制・権力に寄り沿うにしても反抗するにしても、「すべてか、さもなくば無か」では話になりません。
【ワクチン接種を急ぐと感染対策は失敗する?】
そのことを考えたのは、つい先日の民放情報番組で解説者が、
「オリンピックのためにそこから逆算してワクチン接種を急ぐというようなら、感染対策は必ず失敗する。政府はただちにオリンピックの中止または延期を宣言し、落ち着いた中のでコロナ対策に向かうべきだ」
と言っていたからです。
私はオリンピックであれ何であれ、ワクチン接種を加速させるものはなんでもいいと単純に思っています。それとともに“にワクチン接種を急ぐと感染対策が失敗する、拡大を抑えられない”という理屈が理解できません。
医療がひっ迫している状況で医者や看護師を現場から引き離し、ワクチン接種に向かわせるとは何事だという人もいます。しかし死ぬほど苦労しているのはコロナ患者を受け入れている病院や在宅のコロナ医療に携わっている医師・看護師で、病院によっては患者の通院控えのために赤字経営に陥っているところもあるくらいです。
(私の母が毎月診てもらっている診療所も、かつては30分~1時間待ちが当たり前でしたが、今では長くても10分待ちです)
医師や看護師のワクチン接種にはかなりの補助金が出ますから、医療を圧迫するのではなく、病院を経営的に救う面があります。
さらに直接コロナ患者の対応をしない医師・看護師にとって、ワクチン接種に駆け付けることは最前線で戦う仲間を後方から支援する――というよりは直接、背後からコロナを挟み撃ちにするような仕事ですから、喜んで行かないわけがない。
もちろんマスメディアは、そんなことは百も承知で、分かっていながら難癖をつけているのです。権力のチェック機関であることを最優先に考えているから、そうしないわけにはいかないのです。
マスコミが社運を賭けて東京オリンピックを阻止するというなら、それもいいのです。しかしつい先日までのインドのような猛烈な感染拡大でもない限り、オリンピック開催は既定の事実です。
開催を阻止できない、本気で阻止する気持ちもない――その状況で、
そこから逆算してワクチン接種を急ぐというようなら感染対策は必ず失敗する
と言うのは、不安を煽って政治不信を残すだけの目論見としか思えません。
【マスコミのアナーキズム】
私が苛立つのは――と言うより空虚に感じるのは、マスコミが何か言ったあとに何も残らないからです。
菅政権がうまく行っていないのは私も分かっています。だから叩くのはかまわないのですが、だったらなぜ、岸田を出せ、石破を出せ、あるいは枝野を出せという話にならないのか――。菅政権に代わる誰かに心当たりがないなら、とりあえず菅政権に頑張ってもらうしかないと私などは思うのですが、マスメディアのどこにもそんな考えは見当たりません。
日本の教育はダメだ、日本の教師は危険だとさんざん叩いても、
「ではどの国の教育をめざしたらいいのか」
と聞くと誰も答えない、だからと言って今の日本の教育を盛り立てて行こうという気配もない。
それと同じです。