PTA会長や保護者会長になるのは必ずしも人格者や実力のある人ではない、ひとつは学校が小規模で役員が持ち回りになる場合、もうひとつは無謀なくじ引きによって決められる場合で、そうしたときには多少力不足な人が役員になったりする、というお話をしました。けれど悪い人がなるわけではありません。
ほんとうに困った人が役員になるのは特別なケースです。
【悪い奴が会長になる】
私が知る中で一番たいへんだったPTA会長は、30代前半の、地域ではまるっきりの“若造”でしかない、もともとは “よそ者(地区外から移住してきた人)”で地域によく知られていない人でした。
不動産業を営むと聞きましたが実態は分かりません。
ナンバープレートを折り曲げたバイクをノーヘルの で乗り回すような人で、警察にも知己が多く、おかげで運動会の際、大勢の保護者が駐車違反で摘発されそうになった時にはとても役立ってくれました。
全校でただ一軒の給食費未納です。
給食はPATの自主活動から始まったという歴史的経緯があるので、未納者には会長が督促に行くことになっていましたが、本人が未納では話になりません。回収には時間がかかりました。
しかし一番困ったのは春に行われた資源回収の収益金を「オレが行けばさらに高く買い取ってもらえる」と言って受け取りに行き、そのまま何度催促しても学校に入れてくれなかったことです。一時は横領されたのではないかと本気で心配しました。
結局年度末近くなってようやく返してもらいましたが、そのほかにも山ほど問題があってほんとうに薄氷を踏むような一年間でした。
悪人 というほどのこともありませんが、何があっても不思議ではない、危険な人でした。
【悪人選出の経緯】
なぜそんな人がPTA会長になったのか。
彼を選出した地域の保護者に訊くと、要するに「立候補しちゃったから」なのだそうです。
地域総会の席で、司会者がまず「立候補はいませんか」と尋ね、続いて「ないようでしたらこちらに腹案がありますので・・・」と根回ししておいた人を提案し、それでシャンシャンシャンとやる予定だったのです。PTAに限らず、それが役員を決めるときの伝統でした。ところがそのスタートで躓いた。「立候補はいませんか」と尋ねたときに元気よく手を挙げた人がいたのです。それが彼です。
まさかほんとうに立候補する人がいるとは誰も思っていなかったので、そのまま決めざるを得なかった――それが“なってはいけない人がPTA会長になってしまった”経緯です。
なぜ彼は立候補したのか――。
これには諸説あって、ある人は「将来、市会議員に立候補するための布石だそうだよ」と言い、別の人は「商売をやる上で、名刺に『元PTA会長』と書いてあるのは都合がいいんだ」と教えてくれました。
私はなんとなく、“この人は、ただ人の上に立ちたかったのかもしれない”“上からあれこれ指示して人を動かしたかったのかもしれない”、そんなふうに思っていました。
しかしある保護者(女性)はひとことで両断します。
「バカだからよ」
【事件から学ぶべきこと】
今回の我孫子の事件も、
「最も信頼できるはずの保護者会長が起こした犯罪」
ではなく、
「悪い奴が保護者会長になったところから始まった事件」
なのかもしれません。
殺人という最悪のケースでしたが、これが万引き程度の犯罪だったとしても大問題です。学校の名に関わります。
どういう経緯で渋谷容疑者が保護者会長になったのか、それを阻止するすべがはなかったのか、きちんと調査し明らかにする必要があるでしょう。
保護者会長ですら危うい、誰も信用できない、といった問題ではありません。
もうひとつ。
こういった事件があると親たちは慄然として立ちすくみ、集団登下校だとか学校職員による見回りだとか言い出します。
しかし以前ここでも書いた通り(「愚かな不審者対応」②〜いいことはやめられない - カイト・カフェ)集団登校に対して私は懐疑的です。
今回の事件でも、被害者は家を出るとほとんど同時に拉致されたようです。このような場合は集団登校も役に立ちません。
また集団登校の列に車が飛び込んで大きな事故になるような例は、おそらく子どもが誘拐される事件よりもはるかに多いはずです。単純に“子どもを守る”という観点だけで言えば、集団登校はむしろ不可です。
集団下校を言う人は学校が分かっていません。小学校では学年ごと、下校時刻が異なっているのです。まさか5・6年生が下校するまで下の子を待たせておくわけにも行かないでしょう。
学校職員による見回りも、全員が玄関に入るのを見届けるという訳にはいきませんから完全ではありません。
ほぼパーフェクトと言えるのは多くの国々がやっているような「親が責任をもって送り迎えをする」システムですが、そんなことを提案したら保護者に袋叩きにあいます。また、ここ10年あまりを見ても、もっとも多く子どもを殺しているのは「親」ですから、これだって安全かどうかは分かりません。
しかし大丈夫です。
1億2600万人もの人間の住む国ですから時にはこうした残酷で不幸な事件も起きます。しかし基本的にこの国は極めて安全なのです。
無闇に怯え、怖れて暮らすのではなく、ひとを信じ、ひとを頼って生きるのがこの国の正しい身の処し方です。もちろん危険はゼロではない、しかし過剰な安全策はかえって子どものためになりません。
私はそのように考えます。