「2005年のころ」

この「カイト・カフェ」は前身を「デイ・バイ・デイ」と言って2006年の11月からアップしはじめたものです。ただしその下敷きとなる文章は2005年4月から書き続けていましたので、いわば1年7か月分ほどのストックがありました。
 10年も前のものでさしたる意味もないのですが、せっかく書いたものだからと、しばらく前、ブログに追加アップをし始めました。ところがこの作業はほんとうに「単なる作業」なのでさっぱり進まず、2006年4月から10月分までは終えたものの、それきりあとは放置された状態となっていたのです。
 今回ある理由から三が日がとても暇になってしまい、そこで重い腰を上げ、2006年の11月分から、順次、書き加えるようにしてみました(それでも4か月分がせいぜいです)。

 そうしてやってみるといくつかのことに気づかされます。
 ひとつはもちろん、「10年間、言っていることはほとんど変わってねえや」ということ。同じことを繰り返し繰り返し、手替え品替えやっているだけで余りの成長のなさに暗澹としたりします。つい3〜4年前の知識だと思っていたことが、10年も前からの使い古しだと気づくことはほんとうにしんどいことです。

 一方、とても良い話なのに一度使っったきり、書いた本人が忘れてしまっていることもあります。私は半分以上を調べながら書いていますので知識が定着していないと忘れてしまうのです。
 自分の文章を新鮮な気持ちで読むのは決していい気分ではありません。しかしそれが今回あつかい直したことの収穫かと思えば致し方ないことです。

 三番目は10年間のそれぞれの時期、私たちが何かのために粉骨砕身――身を砕き心を尽くしていたそのことの意味が、いくつかの場面で今や失われてしまっているという事実です。
 今回についていえば2005年の晩秋から翌年にかけて、私たちが二つの事件に振り回されていたことが思い出されます。11月22日の広島小1女児殺害事件、そして翌12月1日の栃木小1女児殺害事件です。
 そのちょうど1年前には奈良県でやはり小1女児を狙った誘拐殺人事件が起こっており、その記憶も薄れないうちに立て続けに起こったこれら二つの女児殺害事件によって、日本中の保護者の間に恐怖が広がったのです。

 それは当時にあっても異常な事態でした。日本の各地で説明会や懇談会が開かれ、児童の安全のための組織や制度がつくられます。知事は各校に一人ずつ警官を配置すると言い出し(余剰人員などないのに)、各地区に見守り隊が結成されます。意識の高い人々は見守り活動の細分化・徹底を図り、付き添い登下校も行われたりします。まるで日本中に誘拐犯が跋扈しているような雰囲気です。
 通学の際、無頓着につけていた名札は外され、学校ホームページからは児童の顔が消えていきます。地域のお祭りや修学行事のために安易に配布されていた名簿は極秘扱いにされ、そのために地域の行事がなくなる場合もありました。
 こどもたちには防犯ブザーやホイッスルが配られ、いざというときに鳴らすだけの訓練もしました。集団登校が始まった校区では、登校班内のトラブル(低学年が高学年の言うことをきかない、どこかへ行ってしまう、いつもケンカが絶えない、いじめがあるなど)に悩まされることになります。

 考えてみるとその1年余りの間に殺された女児は3人です。
2013年の資料で恐縮なのですが)それに対して、1年間に交通事故で死ぬ5〜9歳は53名。転落や転倒によって7人が亡くなり、水死溺死が29名。不慮の窒息は8名、煙・火・火災による死が4名、その他5名となっています。

 単純に数字上のことで言えば、見守り隊は交通事故の多発地帯や水辺に置くべきですし、予算は交通安全や水害予防に使うべきでした。

 今や多くの地域で見守り活動はすり減り、集団登校も次第に減ってきています(それは良いことです)。しかしだったらあの時費やされたエネルギーや時間は、なんだったのだろうと改めて思うわけです。
 あの時期ですら「これはいけない」と感じていた教育関係者は大勢いました。しかしそれでも止められなかったのです。