「PTAを如何にせん」⑤

 爆発的に教育予算を増やして学校のメンテナンスや登下校の安全指導を業者に任せ、あるいは図書費や備品費にあて、地域の育成という役割はPTAに代わる若年層(子育て世代)の交流の機会をつくる。その上でPTAを潰す。――それはひとつのアイデアです。
 PTAは学校にとっても負担ですから先生たちが反対するはずもありませんが、まったく現実的ではないというのが実情です。教育予算は減りこそすれ、大幅に増える見通しはまったくないのです。PTAに代わる組織だって、今あるものより優れたものをつくるのは容易ではありません。

 一方、かつてのPTAの担い手である専業主婦がこれ以上増えそうにないとか、保護者はみんな忙しいとか、消費者気分が蔓延しているから「エネルギーや時間の支出はできるだけ抑えて(PTAなんかに参加しないで)、しかもより多くの教育効果を引き出したい」といった気分は広がりこそすれ狭まることはない、といった事情は変わる様子がありません。
 そうなると慢性的な役員不足が解消する見通しもほとんどなくなってしまいます。
 しかし放っておくと「PTAは任意団体だから入る必要はない」という身もふたもない論理を振りかざして辞めてしまう保護者はどんどん増えて行ってしまうかもしれませんし、そうなると残った人々の負担はさらに増えてしまいます。PTAはほんとうのブラック組織になってしまいます。

 もちろん仕事を減らさなければならないのは今後を考える上での大前提です。特にPTA会長の就任記念モニュメント的行事は絶対に行わないように申し送ることは大切でしょう(ときどき会長の奇妙な情熱によって新しい行事が仕組まれたりします)。また通常のPTA業務でも減らせるものはどんどん減らしていく必要があります。しかしそれ以上に取り組まなければならないのは、おそらく仕事内容の周知ということです。

 役員になったら大変だという情報は、おそらく現実よりはるかに大きくなって世間に広まっています。
 実際に役についた人が「簡単よ」「楽しくやっているワ」などということは絶対にありません。だってやらされている仕事ですから。「本人が楽しんでいるならいいんじゃない」と思われたらかないません。
「簡単だし、楽しくていいよ」と言うのは、今度は他人に押しつける番になってからです。

 ただし「(思ったより)簡単だし楽しい」というのは「長」がつく役員以上になった人たちの共通の思いのはずです。なぜならPTA活動の根幹となる活動の大部分は学校の先生がやってしまうからです。委員長は先生の話を聞いて委員に広め、その上で実行させればいいだけの状態になっていることが少なくありません。また何にしろ人と一緒に何かを成し遂げることは楽しくないはずがないからです。
 面倒で何回かの会合に出る必要はありますが、頭を悩ませるような場面はほとんどありません。PTAも70年近い歴史がありますから、自然とそうなってしまったのです。

 私はまた、子どもの教育を通して、「自分のためだけではなく他人のために働く喜び」を親にも教育していく必要があると思うのです。それはそう厄介なことではありません。
 参観日の授業でそうした内容をあつかうとか学級だよりに繰り返し載せるとか、あるいは子どもの作文の隅に短く感想を書いてもらうとか、そういうことによってです。

(この稿、終了)